プロフ - ③ リンゴ

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   ☆ 7月7日 ―― 七夕です。

  と同時に、親愛なるリンゴの68回目のバースデーでもあります!

 先月のポールの66歳といい、リンゴも68歳ですかぁ・・・・・
1960年代――世界を席捲したスーパー・グループ「ザ・ビートルズ」も
そんな年代になったんですね・・(当然ですが)

と感慨に浸っている場合ではなく、今回はリンゴ・スターのプロフィールを
記事にします♪ 
 (※ 例によって、データは「ビートルズ・クラブ」の1985年3月号から引用)


 ☆ リンゴ・スター

 
 本名:     リチャード・スターキー
 生年月日:  1940年7月7日
 身長:     5フィート8インチ(約173cm)
 好物:     ステーキ、ポテトチップス
 苦手なもの: 早朝の公演、玉ねぎ、オートバイ、ドナルドダック
 趣味:     車(ドライブ)
 好きな色:   黒
 好きな歌手: レイ・チャールズ、ダイナ・ワシントン

 

 メンバーの中では一番最後にグループに加わったリンゴですが、
その温かい人柄ですぐに溶け込み、またドラマーとしても超一流のプレイで
ビートルズ・サウンドを支えてきました。
彼のドラミングがいかに素晴らしいかは今さら言うことでもありませんね!
ビートルズの残した200曲以上の作品からは、唯一無二のリンゴのプレイ
が堪能できます。
 リンゴは淡々と しかしグルーヴのあるビートを刻みます。

リンゴ曰く、「派手なフィルやドラム・ソロは退屈なんだよ」~と言ったとか。
 こうした彼だから言えるセリフは嬉しいですね。

 年齢を重ねるほどに素敵なシブミを刻むリンゴの表情は、
   彼の刻むビートのようにいつも温かく自然体です――。

  

  リンゴ自身のお気に入りプレイのひとつ~
       アルバム「パスト・マスターズVol.2」より、

        ♪  Rain.  
                 (サイケでインド風~新鮮な1966年の作品)

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プロフ - ② ポール

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                  ハッピー・バースデー、ポール!!(マンガ風)

 今日6月18日はポール・マッカートニーの66回目の誕生日であります!
最近のポールはあのへザー・ミルズとの離婚や新恋人?の話題で注目
されていましたが、やはりポールは今は亡きリンダが一番のパートナー
だったのだと思います。(哀)

 さて今回はジョンのプロフに続き、ポールのプロフィールを改めて記事に
したいと思います。 前回のジョン同様、データは「ビートルズ・クラブ」の
月刊誌 ―― 85年3月号からの引用となります。

       本名:  ジェームズ・ポール・マッカートニー
    生年月日: 1942年6月18日
       身長: 5フィート11インチ(約180.5cm)
       体重: 11ストーン4ポンド(約71kg)
    好きな色: 黒
 好きな食べ物: ステーキ、チキン、ミルク、コーク
       趣味: 作詞・作曲
    嫌いな物: ヒゲソリ、南部風チキン
   好きな歌手: チャック・ベリー、レイ・チャールズ、ペギー・リー

 
 と、趣味が作詞・作曲とはさすが?でございます・・・(笑)
ヒゲソリが嫌いというのも意外な感じですね。

永遠のベビーフェイスであるポールも年を重ね、ワールド・ツアーも
それは大変だろう~と思いきや、昨年のツアーの様子を見ると
往年のビートルズ・ナンバーを同じキーでいとも簡単に歌っているでは
ありませんかっ!!
ただでさえビートルズ・ナンバーはキーの高い作品が多く、聴くのと
歌うのとでは全く違います~!(←断言・・笑)

私はカラオケではキーコンをフルに使い(汗)、かなり下げて歌うので、
友人たちからは 「なんか別の曲みたい・・・」と感心されております(哀)。

 ポール、いつまでも健康で素晴らしい歌声と作品を発信して下さい!

  ☆それでは懐かしい「イエスタディ」の映像を~♪    こちら
   (1966年の来日時の武道館での熱唱)

  ☆こちらも有名なアコースティック・ヴァージョン♪   こちら
    (ジョンとジョージのユーモアにも注目!)   

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私のビートルズ・ベスト30

Dsc005231              「初期のマッシュルーム・カットの4人」(マンガっぽいですが・・) 

  前々回の記事「ブログ記事ランキング」がおかげさまで好評とのメールを
たくさんいただき感謝しております。
私自身、過去のエントリー(記事)をふり返るいい機会となりました。

 さて、「ランキング」に味をしめた(?)わけではありませんが、昨年、私なりに
ビートルズのベスト50をまとめてみました。
プロフにも掲載しております「ビートルズ・ベスト50」の冊子より、今回は
そのうちの「ベスト30」を発表したいと思います。

もちろん、私個人のベスト30でして、皆さんそれぞれのランキングとは
多少なりとも(?)異なると思いますのでご了承下さい。それでは――
 
私の思い入れの深い「ビートルズ・ベスト30」をご紹介しましょう♪
           (※タイトルをクリックすると、曲と映像が楽しめます♪)

 1:レット・イット・ビー 
アルバム「レット・イット・ビー」収録―1970年
 (荘厳な温かみのある名曲、間奏も素晴らしい)    

 2:プリーズ・プリーズ・ミー
アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」収録―1963年
 (初期で最も新鮮な刺激を受けたナンバー)    

 3:ア・ハード・ディズ・ナイト
アルバム「ア・ハード・ディズ・ナイト」収録―1964年
 (ジョンのドライヴしたヴォーカル!)     

 4:イン・マイ・ライフ
アルバム「ラバー・ソウル」収録―1965年
 (枯れた哀愁のあるジョンならではの曲)        

 5:サムシング
アルバム「アビー・ロード」収録―1969年
 (ジョージの集大成のような、深みある旋律とアレンジ)          

 6:ノーウェア・マン
アルバム「ラバー・ソウル」収録―1965年
 (円熟した、まるでひとつの塊りのような名コーラス!)          

 7:オール・マイ・ラビィング
アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」収録―1963年
 (さりげなく、そして絶妙なアレンジ、演奏)

 8:イエス・イット・イズ
アルバム「パスト・マスターズVOL.1」収録―1988年
 
B面にはもったいない!秀逸な曲)          

 9:イフ・アイ・フェル
アルバム「ア・ハード・ディズ・ナイト」収録―1964年
 (恋におちたら、聴きたくなる
? !           

10:ヘイ・ジュード
アルバム「パスト・マスターズVOL.2」収録―1988年
 (ポールの静と動が渦巻く名曲)              

11:涙の乗車券
アルバム「ヘルプ!」収録―1965年
 (やはり、哀愁を感じるジョンのヴォーカル)          

12:ゲット・バック
アルバム「レット・イット・ビー」収録―1970年
 (後期のグルーヴを感じさせるクールで熱い演奏)      

13:アクロス・ザ・ユニヴァース
アルバム「レット・イット・ビー」収録―1970年
 (マントラのような ?! 不思議な曲)        

14:ブラック・バード
アルバム「ザ・ビートルズ」収録―1968年
 
(鼻歌のような自然発生的な良曲、さすがポール)            

15:ヒア・カムズ・ザ・サン
アルバム「アビー・ロード」収録―1969年
 
(ジョージの優しさの伝わる爽やかな名曲)      

16:ノルウェーの森
アルバム「ラバー・ソウル」収録―1965年
 (無国籍的な雰囲気のくせになるメロディ♪)            

17:ロック・アンド・ロール・ミュージック

  アルバム「ビートルズ・フォー・セール」収録―1964年
 (ノリ一発!ジョン最高のセミ・シャウト!!)   

18:エイト・ディズ・ア・ウィーク

   アルバム「ビートルズ・フォー・セール」収録―1964年
 
(元気が出るパワーを持った画期的かつ新鮮な曲)        

19:オー・ダーリン!
アルバム「アビー・ロード」収録―1969年
 (初めて聴いても、どこか懐かしいソウルフルな曲)    

20:イット・ウォント・ビー・ロング
アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」収録―1963年
 (若き彼らのエキスを凝縮させたような良曲)     

21:恋のアドヴァイス
アルバム「ヘルプ!」収録―1965年
 
(ジョンの絶妙ヴォーカルが上手く甘さをおさえる)      

22:ヘイ・ブルドッグ
アルバム「イエロー・サブマリン」収録―1969年
 
(後期ジョンのシャウトが聴ける貴重な一曲)       

23:アスク・ミー・ホワイ
アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」収録―1963年
 
(ジョンによるジョンのための斬新な曲)       

24:エニィ・タイム・アット・オール
アルバム「ア・ハード・ディズ・ナイト」収録―1964年
 
(初期のパワー溢れるダイナミックな曲)

25:ベイビー・イッツ・ユー
アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」収録―1963年
(ジョンの甘く枯れた最上のヴォーカル)

26:アンナ
 アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」収録―1963年
(ベイビー・イッツ~と並ぶ初期の名唱)

27:アンド・アイ・ラヴ・ハー
アルバム「ア・ハード・ディズ・ナイト」収録―1964年
(シンプルで優しいメロディ、ガット・ギターもグ~)

28:マーサ・マイ・ディア
アルバム「ザ・ビートルズ」収録―1968年
(ポールのマルチな才能を感じるクラシカルな曲)

29:ガール
アルバム「ラバー・ソウル」収録―1965年
(ジョンの甘くけだるいバラード)

30:アンド・ユア・バード・キャン・シング
アルバム「リボルバー」収録―1966年

(当時、画期的なツィン・リード・ギター!)

 

 以上の結果になりましたが、彼らの名曲に順位はさほど

意味がないのかもしれませんね。

その日の気分で多少選曲が変わってくるからです。

それは「名曲ぞろい」のビートルズならではのもの。

こんなスーパー・バンドは今後出現するのでしょうか~~っ!!(汗)

(今回、個人的にジョンの曲が多い結果となりました)      

  皆さんのビートルズ・ベスト30(またはベスト3)は何でしょうか?

                          ―― ショーン ――

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プロフ - ① ジョン

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         「イラスト ― 愛器リッケンバッカーを弾くジョン」

 今回はみなさんから何通もいただいた「ビートルズについてのご質問」
について私の知っている範囲でお答えしたいと思います。
       (とはいえ、私自身たいしてデータも知識もありませんが・・汗)

彼らについてはこれまで星の数ほどの書籍・研究本が発行されており
解散後38年目の今日でさえ、まるで現役のグループのように毎月
                        (それ以上に)
なにかしらのビートルズ関連の書籍を本屋さんで見かけるのです。

 それでも彼らは「謎めいた」存在であり、毎年のように目からウロコ
の「発見」や「暴露」(?)など話題が尽きません。
また、意外に知られていない基本的(?)なことも多く、彼らのちょっとした
プロフィールを今回から(ときおり)ご紹介したいと思うのです。

 その前に、まずは彼らのファン・クラブについてお話しますね。

ビートルズが来日した1966年、日本でも彼らのファン・クラブが
発足しました。 有名なビートルズ・シネ・クラブです。
                (シネとは映画のシネマから由来)
現在も公認ファンクラブ「ビートルズ・クラブ」として幅広く活動
されています。 私も中学生の頃(1983年)からの会員で、のちに仕事の
都合で途中一時退会しましたがその後復帰し、かれこれ20年お世話に
なっている素晴らしいファン・クラブなんです。
毎月送られてくる月刊誌(80ページのモノクロ&カラー)は現在の
メンバーの近況やビートルズについての研究、そしてメ会員のページ
など多彩で充実した冊子となっていて、毎月楽しみな会報なのです。
 (私の部屋にも通算200冊以上のマンスリーが揃っていますよ~)

 そんな素敵な月刊誌も先月号で通算400号達成という偉業
現在も進行させています~いやぁ、スタッフの方々には感謝で
頭が下がります、400号おめでとうございます!(祝)


さて、それではメンバーの簡単なプロフから・・・・・
やはり初回は実質的なリーダー~「ジョン・レノン」からです♪
下記のデータは「ビートルズ・クラブ100号」からの引用となります。
          


     本 名:  ジョン・ウィンストン・オノ・レノン
   生年月日:  1940年10月9日
     出生地:  リヴァプール・ウールトン
      学 校:  クォリーバンク中学校
           リヴァプール美術学校
     身 長:  5フィート11インチ(約180.5cm)

好きな食べ物:  カレー、コーンフレーク
           ステーキ、ポテトチップス
   好きな色:  黒
     趣 味:  絵や本を書くこと
   嫌いな物:  トラディッショナル、ジャズ
           話の下手な人
  好きな歌手:  エルヴィス・プレスリー、
            リトル・リチャード 

             
             「ビートルズ・クラブ・マンスリー1985年3月号より」

 
 いかがでしょうか、ご存知の方も多いと思いますが、珍しいジョンの身長や
 カレー好きなデータ、そして趣味に「作曲」が入っていない(!)というのも
 ポールとは対照的で面白いところですね~。ただ、おそらくこのデータは
 デビュー間もない頃のものだと思いますよ――。

それでは最後に彼らの初期のライヴ映像から~、
          
     ☆ She loves you.
         

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レット・イット・ビー

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             「イラスト ―― 切々と歌い上げるポール」

「レット・イット・ビー」
―― 皆さんご存知のビートルズの名曲ですね。
この名曲が収録され1970年に発売された同名アルバムでしたが、前年の「アビィ・ロード」の完成度からすると、当時は実に散漫な(評価)印象だったようです。
   (録音順ではレット・イット・ビーの方が先)
こうしたことから見ても、その当時のビートルズ自身、そして彼らを取り巻く状況がいかに混乱?!していたかが想像出来ます。
そして解散――ついにビートルズはその活動に終止符を打つのです。

そんな四人がバラバラになりかけていた1969年にこの名曲は誕生しました。
気持ちの離れかけていたメンバーをポールはなんとかまとめようとしていたのです。
ビートルズを「卒業」したい他のメンバーと、昔のようにバンドとして続けたいポールとの姿勢のズレ・・・双方の気持ちが分かる気がして余計に切なくなりますね・・・。

私はこの曲を聴く度に、そうした背景も浮かびながらも荘厳で神聖な感覚に包まれるのです。 実は私のこれまでの生涯で、自然と涙が出てきた数少ない曲のひとつなんです。
歌詞のよさもそうですが、やはりシンプルながらも感動的なメロディに自然に熱くなれるのです。 これは他のスタンダード・ナンバーにも共通して言えるのでしょうね。

今回リンクしたセッション映像でのポールは、気のせいか目を潤ませながら切々と歌っています。また、ヨーコさんもジョンのそばに座っていたり、ジョージやリンゴといえば表情に元気がありません。当時の暗い(笑)雰囲気が感じられます・・・。
しかし、いざ演奏に入ると彼らの集中力は驚異的ですね。ラフながら落ち着いたグルーヴを感じる素晴らしい演奏です。
個人的にはアルバム・ヴァージョンのギター・ソロが大好きで、数あるビートルズ・ナンバーでもベスト・プレイのひとつといえるのでは? そして、その素晴らしいフレーズに憧れた世界中のギター・キッズは必ず一度はコピーしたくなる、と言われていますね。

もうすぐ1月30日――、伝説の「ルーフ・トップ・コンサート」(アップル屋上でのライヴ)から39年が経とうとしています。 冬の寒空の下――突然のライヴに騒然とする
周辺・・・警官達の動揺する模様から市民の反応まで映像に見ることができ、当時の
空気までも感じられるビートルズ最後のライヴでしたね。 
そのライヴから「ゲット・バック」、「ワン・アフター・909」も映像リンクしました。
みなさんにも当時の熱い演奏をぜひ体験してみてほしいなぁ、と思います♪

   ☆ Let It Be.

   ☆ Let It Be.(アルバム・ヴァージョン)   
   
   ☆  Let It Be.(シングル・ヴァージョン)

       ☆ Get Back.(アップル屋上ライヴ)

   ☆ Оne After 909.( 同上 )

レット・イット・ビー Music レット・イット・ビー

アーティスト:ザ・ビートルズ
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:1998/03/11
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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 ジョージ・ハリスン

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          「イラスト - デビュー直前のジョージ」
                            (鉛筆画)

 5年前の今日11月29日、偉大なギタリスト――元ビートルズのジョージ・ハリスンが肺ガンのため亡くなりました――享年58歳。

 1962年にデビューして以来、数々の名曲を生み出した伝説のロック・バンド「ザ・ビートルズ」。 彼らの偉大なる足跡は今なお世界中で語られています。 音楽に限らずその言動や生きざまは絶えず人々を魅了していきました。

 ストレートでユーモアに富むロックン・ローラー、ジョン・レノン

 誠実で変幻自在なメロディ・メーカー、ポール・マッカートニー

 多彩なサウンドをまとめる縁の下のドラマー、リンゴ・スター

 そして控えめで寡黙な個性派ギタリスト、ジョージ・ハリスン

 彼ら4人のこうした個性がイギリスの片田舎リヴァプールで偶然出会い、「奇跡」とも思えるその後のビートルズ旋風を巻き起こします。 数々の偉業はご存知のとおりですが、先日新作「LOVE」が発売されるなど、いまだに彼らのビートルズ・マジックは続いているのです。 

 ジョージ・ハリスン(1943 - 2001)はメンバーの中では一番年下で、デビュー時はあどけなさの残る19歳でした。 しかし、キャバーン・クラブドイツ・ハンブルグなどでの下積み経験は長く、すでにライヴ・パフォーマンスや演奏テクニックには長けていたのです。 
なにより、ジョンとポールという2人の天才に囲まれた日々は否が応でも大人びた人格を形成させるのでした。 
 (ジョン同様、皮肉ったコメントが得意!)

 1964年2月のアメリカ初上陸での大成功でさらなる自信をつけた彼らの躍進は、まるでプレッシャーなどという概念を全く感じさせない神がかり的な力を発揮します。
発表される作品はことごとく大ヒットし、またサウンド面もより進化させていくのです。
1967年、ロック・アルバムの金字塔とされる「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が発表される頃にはそれまでのファンがその革新性についていけないほど成熟し、ロックを芸術の域にまで引き上げるのでした。

 そんなスーパー・グループの中でジョージは自作曲の水準を上げるべく孤独な戦いを続け、ついにアルバム「リヴォルバー」では
オープニングを飾るのです(「タックスマン」)が、レノン&マッカートニーの強力なナンバーの数々はその完成度の高さゆえ、さほど
ギター・ソロを必要としない場合も多く、プレイ面でもジョージの葛藤は続きます。

 しかし、元来卓越した音楽センスを備えていたジョージは彼らの楽曲をそこなうどころか、むしろ一度聴いたら忘れない名フレーズを連発し、その強烈な存在をレコードへ刻みます。 例えば初期の「シー・ラブズ・ユー」の必殺フレーズや、「オール・マイ・ラビィング」での間奏などはまさに “そのフレーズでなければならない” と思えるほどの抜群の名プレイです。

 やがて超モンスター・バンドにも終焉は訪れます。
1970年、ビートルズ解散―――人々は夢のようなマジックから目を覚ます時が来たのです。
それまでのさまざまな要因が絡み メンバーはそれぞれの道を歩み出しますが、解散後に意外にも一番スムーズに音楽活動の軌道に乗ったのはジョージ・ハリスンでした。
ビートルズ時代に書き溜めていた数々の作品を大作「オール・シングス・マスト・パス」(3枚組アルバム)で一気に開花させるのです。
 また、翌1971年8月にはシタールの師匠であるラビィ・シャンカールの呼びかけで、ジョージが主宰となって「バングラデシュ難民救済コンサート」を開催させます。 
  (出演:エリック・クラプトン、ボブ・ディラン他) 
これはロックにおけるチャリティ・コンサートとしては初めての大規模なイベントとなり、ジョージの人望と慈愛、そして親交の広さをあらためて感じられるコンサートでもありました。

 以降、時折アルバムを発表しては話題となりましたが、1980年のジョン・レノンの暗殺というショッキングな事件後、彼を追悼するシングル「過ぎ去りし日々」は世界中のファンの涙を誘います。
 そして記憶に新しい1991年12月の来日――彼にとっては25年ぶりの来日でした。      (1966年来日の記事参照)
親友エリック・クラプトンと彼のバンドを引き連れてさわやかに登場したジョージは、アイドルの面影を残しながらも渋味の増した精悍な顔つき――そのギター・プレイにも枯れた深みのある味わいが堪能できました。 感激のあまり、ふるえて涙を流すファンも多かったようです。

 1995年、アンソロジー・プロジェクトによる “新曲” 「フリー・アズ・ア・バード」が発表されます。(ジェフ・リンによるプロデュース)
ジョンの懐かしい歌声もさることながら、ポールやジョージ、リンゴによる共同作業も感動的で話題になりました。 中でもジョージの哀愁と深みのあるスライド・ギターは、まるで彼らの波乱万丈な道のりを表現するような見事なプレイで、“ジョージここにあり” と誰もが感じたものでした。

 晩年は自宅に侵入した強盗に遭い負傷したり、病魔との闘いに日々を過ごしますが、放射線治療のかいなく2001年11月29日に滞在先のロスアンゼルスで息をひきとります。

 リンゴ同様、ジョージはビートルズ時代からさまざまなアーティストと親交があり、その人なつっこい人柄から慕われ可愛がられます。 ジョンやポールがそのカリスマゆえに孤独になりがちであった人間関係とは対照的なジョージの身辺。 
彼を知る人物はきまってこう言いました――
    「悲しい、まるで肉親を失ったようだ・・・」

 インドへの関心や哲学、悟りなどへの興味もまた人生への意義を見出そうとする探究心旺盛な彼らしいものでした。 思えば12弦ギターやシタール、そしてシンセサイザーの導入など、ポール同様サウンドへのこだわりが強かったのもジョージだったのです。 
彼の探究心は初めてギターを手にした少年の頃から生涯変わらなかったのでしょう。

    「すべてのことは過ぎ去り消えてゆく・・・」
        (万物は流転する・・・)


 森羅万象は諸行無常――生前、そう悟った彼は静かに天に召されました。
  少しはにかんだジョージの笑顔が今でも思い出されますね。

  
  新聞記者 「何か歌ってくれますか?」
  ジョン   「お金が先だよ」

  新聞記者 「床屋へはいつ行ったのですか?」
  ジョージ  「昨日切ったばかりなんだ」 (にこっ!)


           「1964年2月、ケネディ空港での会見より」

 ※ からかうように皮肉る新聞記者たちへの見事な切り返し!
 会見を終えるころには記者たちもビートルズのファンになっていたとか・・・


         ♪ 関連記事  ジョン・レノン (2006・10・9)

 
 ☆ 今回はもちろん、ジョージの名曲を選曲!

   ♪ Something.   (泣けてきます、ギターも最高!)

     
       Something(映像)

        Here Comes The Sun(映像)

       Here Comes The Sun(ボン・ジョビ)

     

オール・シングス・マスト・パス 〜ニュー・センチュリー・エディション〜 Music オール・シングス・マスト・パス 〜ニュー・センチュリー・エディション〜

アーティスト:ジョージ・ハリスン
販売元:東芝EMI
発売日:2001/01/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

☆ ビートルズ解散後、ジョージが意欲的に制作し発表された名盤。(CDでは2枚組)繊細な彼の比類なき才能を感じることが出来る傑作です!        

 
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   の為(最近多いんです)、確認をさせて頂いてからの
   掲載になります~ご了承下さいませ。

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 ジョン・レノ ン

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          「イラスト - ジョン・レノンとオノ・ヨーコ (1980年)」

   今回は私がブログを始めたきっかけ(?)でもあります、
元ビートルズの実質的なリーダージョン・レノンについて話したいと思います。
   (もうすぐ生誕66周年でもある)
有名すぎる(!)彼については皆さんの方がよくご存知だと思いますので、生涯や
エピソード紹介という普段のスタイルではなく、純粋に私が好きなビートルズ・ソングス
(今回はジョン中心で、ソロ作品も含む)を選曲してみたい~と思いました。
今回はこういった主旨ですが、どうぞお付き合い下さいませ~。

とは言っても、簡単にですがジョンの生涯をたどってみましょう。

 1940年10月9日、時は第二次大戦真っ只中――激しいドイツ軍の
空襲の最中、ジョン・ウィンストン・オノ・レノンはイギリスのリヴァプール
に生まれました。 
10代で愛する母ジュリアとの別れやポール・マッカートニーとの運命的
な出会いを経て、1962年10月5日にメジャー・デビューします。

 
1964年2月にはアメリカへ上陸し、ビートルズ旋風と呼ばれる爆発的
な人気で世界的なロック・グループとなります。

  当初、彼らはその個性的なルックスからアイドル視されていましたが、
発表するアルバムのたびに型破りな名曲を連発し、もはや彼らは
アイドルと呼ぶ範疇にはなく、ポップ・ロック史上最高のアーティスト
評され現在に至っています。 
 





1970年に解散してからも幾度となく再結成が噂されましたが、
1980年の記憶に新しいジョンの死により永遠にその可能性は
閉ざされたのです――。
2001年にはリード・ギタリストであったジョージ・ハリスンも亡くなり、
遺族やファンには辛い出来事となりました。 
                  (ジョージ・ハリスンの記事参照

 しかし、彼らの約7年という短い活動期間で残された200曲を超える
作品は、我々リスナーをはじめ世界のさまざまなアーティストに影響を
与えます。 また、ビートルズの存在そのものや各メンバーの個性、
生き方といった音楽以外でも国境や人種を容易に越えるのでした。 
 これは、単にいちアーティストとしてではなく、彼らをとりまくすべての
物事がひとつの大きな現象
として存在し、「ビートルズ台風」という
文字通り塊りとなって生き続けているかのようです――。  
                   (来日記念の記事参照)

 1966年11月にジョンはオノ・ヨーコと出逢います。 
以来、その二人の関係や活動を非難する声もありましたが、
1975年10月9日(ジョンと同じ)に息子ショーンを授かると、
“ハウス・ハズバンド”として音楽業界から遠ざかります。
 しかし、幼いショーンの「パパはビートルズだったの?」という言葉を
きっかけ(と言われている)に、父ジョンは再び音楽活動に入るのでした。

 私はジョンがヨーコさんと会ってからの愛と平和(ラヴ&ピース)
テーマとするさまざまな活動も興味はありますが、やはり音楽家として
のジョン――デビューからサード・アルバム(ア・ハード・ディズ・ナイト)
にかけてのビートルズとしてのジョン・レノンが好きですね~! 
疾走感あふれる彼の艶のある力強いヴォーカルは、今でも新鮮で
聴くたびに鳥肌が立つのです。

 それは驚異のデビュー・アルバム
            「プリーズ・プリーズ・ミー」から感じます――。
1963年2月11日に行われたレコーディングは、この日の10時間に
10曲を収録する
(!)という前代未聞のスケジュールでした。
                  (あ、ありえない・・・大汗) 
そのためライヴの勢いのような、 ほどよく粗削りなノリを感じる仕上がり
 になったのでした。 

 オープニング・ナンバーの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」
ポールのカウントで始まりますが、それは同時に彼らビートルズの
類まれな歴史のはじまりのカウントでもあったのでした。 
このアルバム中 特筆したいのは、「アンナ」「アスク・ミー・ホワイ」
そして「ベイビー・イッツ・ユー」で聴かれる若きジョン・レノンの“成熟した”
ヴォーカルです。 当時若干22歳の青年とは思えない~
            なんと艶のある素晴らしい歌声なのでしょう!
 
 彼はデビュー当時すでに完成されたトップ・ヴォーカリストだったのです。
同年のリンゴ・スター以外のポールやジョージはまだあどけなさが残る
印象ですが、当時のジョンに限っては突出して “大人”だったのでした。 
そして圧巻は、ラストの「ツイスト・アンド・シャウト」でしょう~。

 それから8ヵ月後、セカンド・アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」
リリースされます。 これもまた初期ビートルズを代表するサウンドですが、
一歩前進して洗練された印象ですね。
今回はジョン中心の記事ですのでピック・アップすると、オープニングの
「イット・ウォント・ビー・ロング」「オール・アィヴ・ガット・トゥ・ドゥ」
「ユー・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー」「ノット・ア・セカンド・タイム」
にラストの「マネー」でしょうか。 いやぁ~すさまじい怒涛のレノン・ヴォイス
の雨あられ(笑)です~。 
ある本には「初期ビートルズ・サウンドはジョン・レノンのヴォーカルで
彩られている」なんて表現もありましたが、同感です~
           ジョンのニオイぷんぷんって感じです、ハイ。

 さらに8ヶ月後、ジョンのベスト盤(個人的にです)とも呼べるアルバム、
「ア・ハード・ディズ・ナイト」が発表されます。 私も最初のころは、
ジャケットの雰囲気やサントラというイメージが先行して「よくあるサントラ」
を勝手に想像していました~が、しかし、しかしです
それぞれの曲がまたスゴイこと~っ!(興奮してスミマセン・・笑)

 同名映画タイトル・ナンバー「ア・ハード・ディズ・ナイト」に始まり
「アイル・ビー・バック」に至る13曲は、まるで一陣の風のごとく
駆け抜けます~疾走感を一番感じる名盤ですね。
13曲中10曲がジョンの作品で、当時あれほど多忙なスケジュールの中で
一体いつ作ったの?(笑)と単純に驚いてしまいます。
 モーツァルトなどの大作曲家にも通ずる、やはりジョンもポールも
メロディや詩が湯水のごとく湧き出る天才なのでしょう。

 このアルバムはどの曲もレベルや評価が高いと言われています
     が、(どのアルバムもですが・・・)
「ア・ハード・ディズ~」「イフ・アイ・フィル」(恋におちたら)
「エニィ・タイム・アット・オール」「アイル・クライ・インステッド」
「ユー・キャント・ドゥー・ザット」は特に素晴らしく(ジョンの曲でですよ~)、
ドライヴやカラオケ(笑)ではよく聴き歌うナンバーですね!

 ~と、ほとんど私の勝手な曲紹介(?)となりました~もちろん、以降の
「ビートルズ・フォー・セール」「ヘルプ!」「ラバー・ソウル」
「リヴォルバー」「アビィ・ロード」まで、まばたき出来ないほどの加速で、
ビートルズは「進化」し名曲をこれでもか~と増産していきます。  
タイムマシンがあれば、私もリアル・タイムで彼らの新作を聴いて
 みたかったですね~。 
ビートルズは音楽以外でも魅力的です。 インタビューなどでのユーモア
あふれるコメント
は、当時のアイドルという概念からはとても考えられない
知的でシニカルな発言をしました。 
             (特にジョンとジョージ)
Nec_0083_2 また、ビートルズのギター・プレイもそれぞれ個性的
で、ジョンのリズム・ギター(サイド・ギター)も数々の
名演を披露しました。 彼のプレイはヴォーカルや
楽曲を引き立たせる「生きたプレイ」が持ち味で、
フィーリング豊かな唄うギターですね~。 
ヴォーカル同様、とても譜面には表せない“ノリ”に
包み込まれています。 

 解散後のソロ作品では、有名な「イマジン」
もちろん、「ラヴ」「ウーマン」「ジェラス・ガイ」
「マインド・ゲームス」そしてクリスマス時期にには欠かせない
「ハッピー・クリスマス」が好きですね~。 
皆さんご存知のように、ビートルズ後期から晩年はシャウトというより
「じっくりとささやく」ヴォーカルがメインになりました。

       ――再び音楽活動を始めた1980年――
11月にリリースされた「ダブル・ファンタジー」は世界の注目を浴び、
ジョンは見事に“復活”したのです。
しかし、その矢先の翌12月8日、ジョンは狂信的なビートルズ・ファン(?)
と言われるマーク・チャップマンによる5発もの凶弾に倒れるのです
     ――自宅であるダコタ・ハウスの玄関付近で・・・・・。

 その衝撃的な事件・・悲報はまたたくまに世界を駆けめぐりました 
その凶行は、チャップマンの単独犯説や、大統領に匹敵するほどの
影響力を持つとも言われたジョンを恐れる勢力による犯行とも
ささやかれました。 
しかし、ただひとつ言えるのはジョン・レノンが亡くなってしまったという
取り返しのつかない事実でした。 
  元ビートルズのスーパー・スターであり、ヨーコの夫、そして
ショーン(ジュリアンと)の父親がその夜、理不尽な行為により
 その生命を突然奪われてしまった
のです。 

  自由の国アメリカ、ニューヨークを愛したジョン・レノン――
皮肉にもその自由という象徴でもある「銃」により命を奪われた
彼に対し、当時アメリカ国民の大半が 「ジョン、ニューヨークそして
アメリカを嫌いにならないで・・・」という祈りにも似た感想が載った記事を
雑誌で見た記憶がありました。 
 1981年の春からは、日本を皮切りにツアー計画の予定もあった
   というジョン――
 彼は永遠に40歳のまま・・・伝説となってしまいました―――

 
  ジョンを敬愛する日本のトップ・アーティスト達が集い、彼のナンバー
を歌い上げる「ジョン・レノン・スーパー・ライヴ」が今年で6回目を数えます。
 2001年から昨年までの5回の収益で アジア、アフリカの17カ国に54校
の学校の建設が実現しました。 ヨーコの協力のもと、
     ジョンの愛と平和の精神は確実に引き継がれています。
            ――彼の数々の名曲とともに。

     Happy Xmas (War Is Over) (映像)

     ♪ Imagine.

 

        
 Dsc002921_4                 
        

「ひとりで見る夢はただの夢・・・
              みなで見る夢は現実になる」


                     ~ オノ・ヨーコ ~


    「ジョン・レノン・スーパー・ライヴ 2006」


 ☆ 長文記事にお付き合いありがとうございました!
今回の選曲はみなさんにお任せしたいと思います~
よろしければ選曲した曲名の理由やエピソードも
コメント欄へ頂けたら幸いです~♪
  (もちろん、コメントのみでもかまいませんよ~!)

 ※ なお、頂いたコメントはスパム対策
   の為(最近多いんです)、確認をさせて頂いてからの
   掲載になります~ご了承下さいませ。


 

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ビートルズ日本公演

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         「イラスト - 7月1日昼の部でのジョンとポール」
 
あの伝説のビートルズ来日からもうすぐ40年が経とうとしています。 (ちなみに私も四捨五入すると40です・・・汗) 日本中を熱狂の渦に巻き込んだ5日間~ビートルズとしては最初で最後の来日でしたね~。 

 1966年6月28日、折りしも台風4号が猛威を振るい、次のコンサート予定地~
極東の神秘の国 「日本」へ向かおうとしていたビートルズの一行は、アンカレッジで
足止めされていました。 つい先日までドイツ・ミュンヘンでの公演を終えた4人
でしたが、この頃になると狂騒とも思える各地でのライブ活動にメンバーの誰しもが
疑問を持ち始めていました
。 
マネージャーのエプスタインは、そんな4人にマンネリ化した欧米での活動から
離れた日本~フィリピンの地域を候補に挙げたのでした。
                (ジョンやジョージがアジアを希望したとも言われる)

 かくして台風の弱まった隙に(?)4人は羽田空港に到着したのです~時に
1966年6月29日午前3時50分、「世界のアイドル」ザ・ビートルズはJALの
ハッピを着てタラップを笑顔で降りて来ました

         (この時のJALの宣伝効果は、当時1億円とも言われている) 

 日本の地に着くやいなや、横付けされたキャディラックに乗り込むと、報道陣を
半ば振り切るように夜明け前の首都高へ突き進みます~一般車両を制限した
貸切状態(!)の首都高を一路宿泊する東京ヒルトン・ホテル
                            (旧:キャピトル東急ホテル)
へ向かう一行。 
この模様は幾度となく放映された映像からも確認できますが、やはり朝焼けを背に
首都高を走る車の映像とともに流れる「ミスター・ムーンライト」は強烈なインパクト
がありましたね~!

 その日のうちに記者会見が行われました。
       (400人を越えるといわれた報道陣、当時としては前代未聞!) 
通訳をとおしてのせいか、今からするとたどたどしい質疑応答もありましたが、
注目すべき発言もありましたね。
       (ベトナム戦争について、いつも気にかけている~など)
普段どおりおどける4人に、当時の日本側の慣れないせいか堅苦しいやりとりが
何とも新鮮(?)な記者会見でした・・・汗。

 翌30日夜に最初のライブが行われますが、前座の演奏が1時間ほどあり、
その顔ぶれもさまざまでした~内田裕也、ジャッキー吉川&ブルー・コメッツ、
尾藤イサオそしてドリフターズなど
、それぞれ個性あるパフォーマンスを見せた
ようです。 
     ――そしていよいよビートルズの登場となります――。 

 当日の司会として立った故・E・H・エリック(故・岡田真澄の兄)が本人曰く、
「最も短い司会だった」という名言(?)とともにさっそうと現れた4人は、歓声を浴び
ながらもいつものように淡々とギターのチューニング(音程の調整)を始めます。
 すると突然ジョンがギターをかき鳴らしオープニング曲「ロック・アンド・ロール・
ミュージック
」を歌い出すのです! 
こうして歴史的な日本での公演が幕を開けました。 
しかし、キーを半音下げた演奏のせいか、それともコンサート活動への興味が
薄らいでいた時期だったためなのか、全体的にこの日の演奏は散漫な印象と
世間から批評
されました。 

 それまでの各地での悲鳴に満ちた中でのライブと違い、規制もあってか大人しい
日本人の観衆
は、ビートルズの4人にも少なからず影響を与えたようです。 
この武道館では、珍しく本人達も自身の演奏が聞こえ(!)コンサート活動をして
ばかりで演奏技術が進歩しない・・・と感じたのも無理もありません、、、、、
当時はPA(音響システム)が未熟でモニターもない環境の中で、絶叫するファン
の前で演奏しハーモニーをつける~という今では考えられない悪条件だったの
ですから・・・。 
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 ミュージシャンの間では「あの状況
の中であれだけの演奏が出来た
ビートルズは奇跡に近い~
」などと
後年言われるようになりますが、
スタジオでのビートルズの演奏を
聴けばそれも納得です~
 また、よくビートルズは演奏が下手
などと揶揄されます
(この武道館での印象が強いため?)
が、それは全く違うのです。

 仮にクラシックのヴァイオリン奏者が
絶叫の中で2年以上もコンサート活動
をしたとします~そしてある時静まり
かえった会場ではたして以前のような
音色でどこまで弾くことが出来るでしょうか?
(例えばの話ですよ~) まぁ、とにかく
気を持ち直した4人は翌日7月1日の演奏からは見違えるような以前のサウンド
になりました~よかった、よかった(笑)。

 この来日の間、ビートルズは武道館で計5回コンサートを行いましたが、観客
の中には有名人も多数いらっしゃいました~沢田研二、三島由紀夫、遠藤周作、
かまやつひろし、財津和夫などなど、志村けん
も見たとか・・・。  
嵐のように過ぎた5日間、滞在時間約103時間・・・悲鳴と絶叫をあとに、次なる
コンサート地フィリピンのマニラへと飛び立って行きました。  
            (フィリピンではひと騒動ありますが・・・)

 期間中、警備に動員された警官はのべ8400人と言われ、アーティストに
対しての異例ともとれる異常な警戒体制が注目されましたね、来たる安保闘争
やVIP訪日に向けての予行練習であったとかなんとか言われましたが、
何より無事に公演を終えたことは幸いでした。 まだまだエピソードや紹介
したいお話もありますが、かなり長くなりそう(笑)ですので、次回(?)機会が
ありましたら記事にしたいと思います。 

  また、彼らが宿泊したキャピトル東急ホテルが2006年の11月で閉館・
建て替えとなり、貴重な想い出がまたひとつ・・・残念です。

 とにもかくにも、来日してからわずか2ヶ月後の1966年8月29日の
サンフランシスコ(キャンドル・スティック・パーク)でのライブを最後に、
ビートルズはコンサート活動を二度と行うことはありませんでした・・・。
そう思うとギリギリのタイミングで実現したビートルズ日本公演は貴重な出来事
となってその後のGSブームやファッションなどさまざまな分野へ大きな影響を
もたらしていくのです――。

 今日のリクエストは、武道館でもエンディングで演奏されたロック・ナンバー!

 ☆  I'm Down. (ポールの絶品シャウトが素晴らしい!)

                      ♪  映像はこちら

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 ☆ ビートルズに同行した公認カメラマン、ロバート・ウィティカー撮影による
   来日時の貴重な写真集! 価格は高め(?)ですが、限定6000部という
   保存版ですね~私も購入する予定です(汗)。

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   掲載になります~ご了承下さいませ。

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