大船渡市~普代村へ

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              「  塩害で一度切り倒すことに・・・」

 

 先月中旬から今月初めまで、大船渡市、釜石市、大槌町、宮古市、田野畑村、
そして普代村へ
とそれぞれ訪れました。

P2012_0409_01064125 大船渡ではよく立ち寄った駅周辺のお店や漁港付近へ行き、その現状、津波の被害の凄まじさにあらためて恐怖を覚えました。がれきは整地され、一部の道路は1mほど砂利でかさ上げされ、復興へのステップを実感しました。 大船渡駅(跡地)近くには仮設商店街も営業して。いつか以前のような、・・・いえ、それ以上の港町に活気づくよう祈らずにはいられませんでした。
     「ありし日の大船渡駅」

次に釜石市へ向いました ――。
釜石は私が幼少の頃に父の転勤で数年間住んでいた街です。
よく行っていたデパート付近の商店街へも津波は押し寄せていて、昔の面影は
やはりありませんでした。釜石駅付近まで浸水し、当時の報道で駅前が海水で
満ち、たくさんの車が浮いている写真を見た時はさらに驚いたものでした。
釜石駅はイメージとして海から離れていると思っていたのですが・・・


大槌町では一面に被害が感じられ、かつての街並みを想像すると、その現状に
涙があふれました・・・建物がほぼ破壊され遠くまで見渡すことができていて、
海が近くに感じられたことがさらに悲しくなります。
これは前回の陸前高田市の被害状況を見た際に感じた気持ちに似ていました。
こちらでも街中で手を合わせ・・・宮古市へ向かいました。

P2012_0613_1043085 宮古市に到着すると、まず市役所の4~5階から防波堤が臨める非常階段へ上がりました。当時その付近から撮影された津波の映像が鮮明に記憶されていたからです。
私が向った7月下旬、がれきはすでに片付けられ市内は活気が戻っていましたが、少し脇道へ入ると損壊したコンクリートの一部や家屋の破片も見られ、何より建物の土台だけが残る数々の空き地があの日の生々しい記憶を留めているのでした・・・  (写真は7月現在の宮古市役所からの街並み)

その後、田老へ向いました。 あの万里の長城という異名を持った大防潮堤を
間近で見ました ―― というより見上げました・・・それだけ巨大な防潮堤 (高さ10m
なのですが、津波は軽々と乗り越えて多くの家屋を襲ったのです・・・・・
P2012_0613_1131225 防潮堤の海側ではたくさんの重機が護岸工事などの作業中でした、猛暑の中で頭が下がります。
防潮堤へ上がり、その高さに驚きながらしばらく手を合わせていると、年配のご夫婦が犬を散歩しながら近づいて来ました、
地元の方なのでしょう。
私はこうした状況に挨拶すら躊躇していましたが、そのご夫婦は「こんにちは」と
自然に声をかけてくれたのでした。なんだか躊躇していた私は恥ずかしくなると
同時に、地元の方々の強さに逆に励まされたのでした。


さらに北上し、田野畑村へ着く頃には沿岸は断崖が続くようになりました。
海のアルプスと呼ばれる有名な景勝地 「北山崎」 を展望台から眺めると、
本当にあの大震災があったのだろうか・・・と一瞬でも忘れさせてくれます。
そして、東北には、岩手にはこうした自然の遺産がまだまだ存在し、私たちを
癒し励まし続けてくれる ―― と気付かされます。

今回の期間中、最後に訪れたのが普代村です。
北山崎から車で約20キロ走ると普代の街並みが見えてきました。
P2012_0613_1255575 早速、あの巨大津波を最小限に防いだことで有名になった 「普代水門」へ。
間近で見ると、やはりその大きさに驚きます。15mの高さの巨大水門。
頑強な分厚いコンクリートがあの日、村中心部への津波の侵入を防いだのです。
建設時には反対の声も多かったそうですが、天災への備えの重要さをこの巨大水門は語りかけているようです・・・
その先にある太田名部漁港へ向い、力強い復興作業に励まされながら帰途に
つきました ――。

被災地は徐々に復興していきます。しかしそこには懸命な人々の作業と強い
「思い」があることを決して忘れてはいけません。

そして、まだまだ始まったばかり、ということも・・・
災害は他人事ではなく国民ひとりひとりの認識が必要です。
これからもずっと支援や心のケアは必要であり、そのためにも国や行政が特例
での法改正や被災者への優遇措置を迅速かつ継続的に行うことが前提です。



私も可能な範囲で支援し、これからも現状を発信していけたら、と思います。

 ※ 今回も行く先々でお会いした方々へこの場を借りて感謝申し上げます


                         2012・8・16      ルーシー

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陸前高田市へ

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           「イラスト ― 陸前高田からの帰りの夕焼け」

  昨日(6日)4ヶ月ぶりに陸前高田市(岩手県)へ行ってきました。

被災、浸水した沿岸側はがれきが徐々にですが以前より減ってきているようです。
あの一本松の周辺も重機によりがれきが整地され、かつて堤防や松林のあった
付近には石垣のような石積みがなされ、仮の堤防の役目を担っているようです。

 
 今回、高台に設立されている仮設住宅、仮設商店街へ向かいました。

震災から1年と4ヶ月・・・いまだに仮設住宅で生活を余儀なくされている多くの方々
の現状を伺うために訪れたのでした。
しかし平日の朝ということもあり、私が向った仮設住宅では人の往来がなく今回は
お話を伺うことはできませんでしたが、外観から確認できたことは以前よりも
仮設住宅の玄関や壁、屋根などもある程度これからの暑い夏に向けての改善
がされているように感じました。

その後、事前に連絡を入れさせていただいていた「タクミ印刷(有)」様へ向かい、
同社が発行されている陸前高田の写真集 「やっぱり、ここがいい」を購入させて
いただき、その際 あの震災当時の生々しいお話を同社デザイン担当のTさんに
いくつか伺いました。
思い出すことすらとても辛いはずの当時の状況を、私に分かり易く丁寧に話され、
前向きに日々の生活、業務をすすめるそのTさんをはじめとする被災された
方々の力強い姿を感じ、微力ですが私のできる範囲での支援を今後も継続したい
とあらためて決意しました。ささやかながら、「一本松と天の川」のイラストを寄贈
させていただきました。 (こんなことしかできませんが・・・)


Dsc013192 続いて6月にオープンした「つどいの丘商店街」
(高田町大隈)へ向かいました。
こちらも事前にご連絡済みの・・・というより、
某テレビ番組で紹介されていたカフェの
「なっちく定食」が食べたいのと、店長さんの
前向きで男気のある人柄に訪れたいと思った
のです。
その「カフェフードバーわいわい」様に着いた
のはちょうどランチタイム(汗)になってしまい、
外で仮設商店街を眺めていました。
しばらくすると O店長さんがわざわざ出てきて
くれました。


Dsc013202 被災地の現状を少し伺うと、おかげさまで物質支援は間に合ってきているので、今後はお客さんが継続的に商店街などを利用してくれることが助けになります、とのこと・・・全く同感です。
やはり、ただ復興、復興と簡単に言うだけでは意味がありません。
長期的に支援が必要なことは誰でも分かっていることであり、
忘れてはいけないことです。
まして他人事ではないのです。国民全体の災害(課題)なのですから。
もちろん募金も必要ですが、被災地を訪れ、食事をしたり宿泊したりすることが
大事な支援となるのです。


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帰り道・・・のどが渇いたので竹駒町の滝の里商店街に寄り、飲み物を購入。
スーパーの「マイヤ」様(本社:大船渡市)も立派な仮設店舗を構え、地元の
方々の生活を支える拠点(オアシス)となっていました。
   
     ―― こうして徐々に徐々にですが復興は進みます。


 
 これからも沿岸の被災地を周り、私なりの支援の仕方を続けたいと思います。
突然訪れ話しかけさせていただくことがあるかもしれませんが、お時間があれば
被災地の皆様方どうぞお話相手になってください、よろしくお願い致します。


  
  ※ タクミ印刷のTさん、カフェフードバーわいわいの店長Oさん、
           お忙しい中お話していただきありがとうございました!



                           

                              7月 7日       ルーシー
      

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