福沢 諭吉
「イラスト ― 晩年の福沢 諭吉」
この時期 ―― あちらこちらで高校や大学の卒業式が行われ、それぞれの
進路へ向かって旅立つさわやかな季節ですね。
希望を胸に進学や就職 ――、私も二十年ほど前のことですが就職への希望に
満ちた時がありました(汗)。 もうテスト三昧の日々とはさよなら~(笑)と。
しかし就職したからといって学生の頃のような勉強がなくなるわけもなく、反対に
社会という漠然とした荒波に身を置く・・・というような表現(社会勉強)がしっくりくるの
かも知れませんね。
マニュアルには書ききれないほどのさまざまな状況があり、毎日が新鮮で刺激的
な社会生活・・・人としてこれが本当の勉強なのでしょうね。
やはり「生涯勉強」という言葉に納得させられます、ハイ(汗)。
さて今回の記事は私の尊敬する偉人のひとり ―― 「福沢 諭吉」(敬称略)です。
幕末から明治への劇的な変換は、人々の生活スタイルから価値観まであらゆる
方面で作用し変化をいざないました。
そうした時代に生きた人々の努力と葛藤は想像を絶するほどです。
また、混迷した世を生きる現在の私たちが、そうした先人の知恵や思想を
あらためて学ぶ時期に来ているようでもあり、今回は教育と思想の観点から
福沢 諭吉についてアップしたいと思ったのでした――。
天保5年(1835年)、福沢諭吉は大坂の中津藩蔵屋敷で生まれました。
翌年父と死別し、故郷の中津(大分県)に帰郷し、家は貧しくも感性の鋭い
しっかりとした少年に育っていきました。
そして黒船来航の1853年、オランダ語の必要性を感じ長崎へ遊学すると
翌年には大坂の緒方洪庵の適塾で勉学に励みます。
< 以下、簡単な略歴 >
1858年、藩命により江戸で蘭学塾を開く。(のちの慶応義塾)
1860年、幕府の使節の従僕として咸臨丸にて渡米し、見聞を広める。
1862年、遣欧使節団としてイギリス、フランスなどヨーロッパ各国を視察。
(1866年、「西洋事情」初編を刊行)
1872年、「学問のすすめ」刊行開始。
1899年、「福翁自伝」を刊行。
1901年、脳出血で死去。
と著書のタイトルどおり、福沢は当時西洋事情に精通した第一人者でした。
そして何より彼を有名にした著書「学問のすすめ」は、我々現代人へも絶えず
啓蒙をし続ける名著といって過言ではないでしょう。
「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らずと云えリ」
誰しも一度は耳にしたことのあるこの有名な冒頭の一文は、アメリカ独立宣言
からの引用ですが、やはり人類共通の思想として素晴らしい一文ですね。
そうした不朽ともいえる一文を、あの明治初期という時代に理解し推進していた
福沢諭吉という人物の感性は ―― なんと素晴らしいことでしょう。
そしていつも思うのですが、坂本龍馬や西郷隆盛、勝海舟に木戸孝允など
をはじめ、日本の夜明けともいえるあの時代にはさまざまな思想と立場から
の傑出した人物がなんと多いことでしょうか。
また、今の混迷する政局を彼らはどう見つめるのでしょう・・・
さて、福沢諭吉は幼い頃からの経験からいわゆる封建的な社会を嫌って
いました。 それは生まれながらの家柄や学のある者が優遇されるという
差別的な体験を実感していたため、と云われています。
その証拠に著書「福翁自伝」には、「門閥は親のかたき」とありますし、
だからこそ学問の重要性を悟ったのではないでしょうか。
しかしそれは単に難しい漢文や古文などを学習することではなく、読み書き
ソロバンといった「実学」を推奨したようです。
これは皮肉にも現代の受験戦争とは相反したことでもあり、昨今叫ばれている
今後の教育のあり方、という抜本的な改善が必要なのかも知れません。
う~ん、福沢諭吉の人生から感じることはいろいろありますね。
例えば・・・
「すべての人民は平等であり、学問やその思想は自由である。
また、家柄や過度な競争による格差社会は誰も望んでいない ――」
2009・3・21 ショーン現代語訳 学問のすゝめ
配信元:電子書店パピレス
提供:@niftyコンテンツ
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