アメリア・イヤハート
1903年12月アメリカのライト兄弟により、 ついに人類は長年の夢であった空への
切符を手に入れました。 人類が空を飛行するというあらたな手段を得た瞬間
だったのです――
― しかし飛行機を手にした我々の喜びもつかの間、その後の第一次世界大戦
では戦闘機という強力な「兵器」として改良され利用されてしまいます。
「イラスト― アメリア・カット(ショート・カット)も流行に 」
こうした文明の進歩は戦時下における兵器の規模の拡大へ残念ながら
つながります。 逆に、兵器開発による技術革新がもたらす便利な生活もまた
皮肉なことです・・・。
1914年に始まった第一次世界大戦では、人類史上初めて毒ガスや戦闘機、
そして強力な威力を持つ爆弾などの大量破壊兵器が登場しました。
言うまでもなく人的な被害もそれまでの戦争にはない残酷で大きなものに
なってしまうのです――。
この恐るべき大戦がようやく終結し、人々がもとの平和な暮らしに戻ろうと
していた1920年代――アメリカではさまざまな分野で人々の「躍動」が始まり
ます。
それは経済や文化にとどまらず、希望ある探険や飛行が隆盛を極めることから
もその「躍動」を感じられるのです。
1927年5月20日(~21日)、世界を仰天させる偉業が達成されます。
アメリカの飛行家 チャールズ・リンドバーグによる「大西洋単独横断飛行」
が成功するのです。
「翼よ、あれがパリの灯だ」~という有名なセリフの真偽はともかく、この
フライトが象徴することは、人々が大戦の痛手から立ち直り再びロマンへ
の関心が高くなったということを意味します。
それから5年後の1932年5月20日、リンドバーグと同じルートで単独飛行
に挑戦しようとする一人の女性が現れます。
その女性こそ、伝説の飛行家として知られるアメリカ・カンザス州出身の
アメリア・イヤハート なのです。
1932年当時34歳のアメリアでしたが、その飛行歴は長く、業界では名の
知られた女性でした。
当時のアメリカでも女性の地位向上を目指す気運は高まっていました。
そうした状況へ 登場したアメリアは女性達の期待と憧れの的だったのです。
そんな女性達の熱い眼差しを一身に背負って、カナダ・ニューファンドランド島
のハーバー・グレース(グレース湾)から飛び立つのでした。
彼女の愛機である深紅のロッキード・ベガは、
当時の飛行機としては高性能として知られています。
その信頼するベガと一体となり、途中の強い北風や寒さ、そしてさまざまな困難に遭いながらおよそ15時間後アイルランドに到着、見事
女性初の大西洋単独横断飛行に成功するのです。
しかしアメリアはこの偉業に満足することなく、「世界一周」という大きな目標を
密かに決意するのでした。
彼女自身、自分に対する世間の注目が女性の権利を高める効果があること
を十二分に理解していたのです。
1935年1月11日にはその「前哨戦」とも言われるハワイ(ホノルル)から
カリフォルニア(オークランド)までの単独飛行にも成功します。
(※ 1月11日は、彼女の功績と精神を記念してアメリア・イヤハート・デー
とされている)
そして1937年5月21日、念願の「世界一周飛行」へ向かうのです。
当時アメリアはこの大計画について、
「飛行記録が更新される時は、将来のために
犠牲になる覚悟を持った人が現れた時よ」
と、今考えると意味深に語っています。
この飛行ではベガではなくロッキード・エレクトラ(双発機)に乗り込んでの
出発でした。 (同乗者は優秀な航法士、フレッド・ヌーナン)
二人は東周りで順調に飛行を続け、6月末にはニューギニアのラエ飛行場に
到着。 燃料補給や整備をし、7月2日にホノルル方面へ向けて飛び立ちます。
ここまで計画の3/4を飛行していた二人に対して、アメリカ国民は無事の成功
を信じて疑わなかったのでした。
――まさかこれが彼女のラスト・フライトになろうとは
誰ひとり想像すら出来なかったのです・・・・・・
その夜7時をまわった頃、思いがけない電文が受信されます。 著者:リチャード テームズ
「・・現在地点が分からない・・・」
「・・・燃料が不足している・・・・・」
そして消息が途絶えたのです―――。
詳しいやりとりは手元の資料にありませんが、管制ではアメリアとフレッドが
広い太平洋上で航路を誤った、という見解に達しました。
そして最悪でも洋上へ着水していることを願ったのです。
連絡を受けた時の大統領ルーズベルトは、すぐさま二人の救出へ全力を
入れます。沿岸警備隊、海軍、そして空からも400万ドルをかけたと言われる
大捜索が展開されました。
しかし、アメリアとフレッドを発見することはなかったのです――。
おりしも捜索エリアは日米の間でも緊張の高まりつつあった水域であり、
一説には着水したアメリア達を日本側がスパイとして拘束したのでは??と
ささやかれるほどのキナ臭い時期でした。
ご存知のとおり、その2年後の1939年、ドイツ軍によるポーランド侵攻を
きっかけに、残念ながら世界は再び戦争へと突入していくことになります。
1941年12月、ついに日米が交戦すると、それまでの冒険飛行という夢を
乗せたプロジェクトは余力をを失っていくのでした――。
アメリアは出発前にこんなことも言っています。
「これが私の最後の長距離飛行よ」 と・・・
アメリアが行方不明になってから一年後、国際ゾンタ
(女性の地位向上を目的とする国際的な奉仕団体)
はアメリア・イヤハート基金を発足させます。 これは毎年航空関連専門の
女性研究者などを認定し支援する制度です。
あれから70年――彼女のラスト・フライトは悲しいものでしたが、
その偉業と志はまさに女性の職業的、社会的地位の向上に寄与し、
勇気を与えた素晴らしいものでした。
アメリアの理念は、
こうして毎年確実に受け継がれているのです――。
「心の平和を与える代償として、
人生が要求するのは勇気である――」
アメリア・イヤハート
☆ 今回は数あるビートルズの曲の中でも
唯一のインスト・ナンバー~♪
♪ Flying.
(ゆったりとしてシンプルながらもセンスを感じますね!)
☆ Flying. (音・映像)
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☆ 飛行家として女性の地位向上にも尽力した
勇気ある信念の人――アメリアの生涯。
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