« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »

 ジョージ・ハリスン

Dsc0011512345
                 「イラスト - デビュー直前のジョージ」
                            

 5年前の今日11月29日、偉大なギタリスト――元ビートルズのジョージ・ハリスンが肺ガンのため亡くなりました――享年58歳。

 1962年にデビューして以来、数々の名曲を生み出した伝説のロック・バンド「ザ・ビートルズ」。 彼らの偉大なる足跡は今なお世界中で語られています。 音楽に限らずその言動や生きざまは絶えず人々を魅了していきました。

 ストレートでユーモアに富むロックン・ローラー、ジョン・レノン

 誠実で変幻自在なメロディ・メーカー、ポール・マッカートニー

 多彩なサウンドをまとめる縁の下のドラマー、リンゴ・スター

 そして控えめで寡黙な個性派ギタリスト、ジョージ・ハリスン

 彼ら4人のこうした個性がイギリスの片田舎リヴァプールで偶然出会い、「奇跡」とも思えるその後のビートルズ旋風を巻き起こします。 数々の偉業はご存知のとおりですが、先日新作「LOVE」が発売されるなど、いまだに彼らのビートルズ・マジックは続いているのです。 

 ジョージ・ハリスン(1943 - 2001)はメンバーの中では一番年下で、デビュー時はあどけなさの残る19歳でした。 しかし、キャバーン・クラブドイツ・ハンブルグなどでの下積み経験は長く、すでにライヴ・パフォーマンスや演奏テクニックには長けていたのです。 
なにより、ジョンとポールという2人の天才に囲まれた日々は否が応でも大人びた人格を形成させるのでした。 
 (ジョン同様、皮肉ったコメントが得意!)

 1964年2月のアメリカ初上陸での大成功でさらなる自信をつけた彼らの躍進は、まるでプレッシャーなどという概念を全く感じさせない神がかり的な力を発揮します。
発表される作品はことごとく大ヒットし、またサウンド面もより進化させていくのです。
1967年、ロック・アルバムの金字塔とされる「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が発表される頃にはそれまでのファンがその革新性についていけないほど成熟し、ロックを芸術の域にまで引き上げるのでした。

 そんなスーパー・グループの中でジョージは自作曲の水準を上げるべく孤独な戦いを続け、ついにアルバム「リヴォルバー」では
オープニングを飾るのです(「タックスマン」)が、レノン&マッカートニーの強力なナンバーの数々はその完成度の高さゆえ、さほど
ギター・ソロを必要としない場合も多く、プレイ面でもジョージの葛藤は続きます。

 しかし、元来卓越した音楽センスを備えていたジョージは彼らの楽曲をそこなうどころか、むしろ一度聴いたら忘れない名フレーズを連発し、その強烈な存在をレコードへ刻みます。 例えば初期の「シー・ラブズ・ユー」の必殺フレーズや、「オール・マイ・ラビィング」での間奏などはまさに “そのフレーズでなければならない” と思えるほどの抜群の名プレイです。

 やがて超モンスター・バンドにも終焉は訪れます。
1970年、ビートルズ解散―――人々は夢のようなマジックから目を覚ます時が来たのです。
それまでのさまざまな要因が絡み メンバーはそれぞれの道を歩み出しますが、解散後に意外にも一番スムーズに音楽活動の軌道に乗ったのはジョージ・ハリスンでした。
ビートルズ時代に書き溜めていた数々の作品を大作「オール・シングス・マスト・パス」(3枚組アルバム)で一気に開花させるのです。
 また、翌1971年8月にはシタールの師匠であるラビィ・シャンカールの呼びかけで、ジョージが主宰となって「バングラデシュ難民救済コンサート」を開催させます。 
  (出演:エリック・クラプトン、ボブ・ディラン他) 
これはロックにおけるチャリティ・コンサートとしては初めての大規模なイベントとなり、ジョージの人望と慈愛、そして親交の広さをあらためて感じられるコンサートでもありました。

 以降、時折アルバムを発表しては話題となりましたが、1980年のジョン・レノンの暗殺というショッキングな事件後、彼を追悼するシングル「過ぎ去りし日々」は世界中のファンの涙を誘います。
 そして記憶に新しい1991年12月の来日――彼にとっては25年ぶりの来日でした。      (1966年来日の記事参照)
親友エリック・クラプトンと彼のバンドを引き連れてさわやかに登場したジョージは、アイドルの面影を残しながらも渋味の増した精悍な顔つき――そのギター・プレイにも枯れた深みのある味わいが堪能できました。 感激のあまり、ふるえて涙を流すファンも多かったようです。

 1995年、アンソロジー・プロジェクトによる “新曲” 「フリー・アズ・ア・バード」が発表されます。(ジェフ・リンによるプロデュース)
ジョンの懐かしい歌声もさることながら、ポールやジョージ、リンゴによる共同作業も感動的で話題になりました。 中でもジョージの哀愁と深みのあるスライド・ギターは、まるで彼らの波乱万丈な道のりを表現するような見事なプレイで、“ジョージここにあり” と誰もが感じたものでした。

 晩年は自宅に侵入した強盗に遭い負傷したり、病魔との闘いに日々を過ごしますが、放射線治療のかいなく2001年11月29日に滞在先のロスアンゼルスで息をひきとります。

 リンゴ同様、ジョージはビートルズ時代からさまざまなアーティストと親交があり、その人なつっこい人柄から慕われ可愛がられます。 ジョンやポールがそのカリスマゆえに孤独になりがちであった人間関係とは対照的なジョージの身辺。 
彼を知る人物はきまってこう言いました――
    「悲しい、まるで肉親を失ったようだ・・・」

 インドへの関心や哲学、悟りなどへの興味もまた人生への意義を見出そうとする探究心旺盛な彼らしいものでした。 思えば12弦ギターやシタール、そしてシンセサイザーの導入など、ポール同様サウンドへのこだわりが強かったのもジョージだったのです。 
彼の探究心は初めてギターを手にした少年の頃から生涯変わらなかったのでしょう。

    「すべてのことは過ぎ去り消えてゆく・・・」
        (万物は流転する・・・)


 森羅万象は諸行無常――生前、そう悟った彼は静かに天に召されました。
  少しはにかんだジョージの笑顔が今でも思い出されますね。

  
  新聞記者 「何か歌ってくれますか?」
  ジョン   「お金が先だよ」

  新聞記者 「床屋へはいつ行ったのですか?」
  ジョージ  「昨日切ったばかりなんだ」 (にこっ!)


           「1964年2月、ケネディ空港での会見より」

 ※ からかうように皮肉る新聞記者たちへの見事な切り返し!
 会見を終えるころには記者たちもビートルズのファンになっていたとか・・・


         ♪ 関連記事  ジョン・レノン (2006・10・9)

 
 ☆ 今回はもちろん、ジョージの名曲を選曲!

   ♪ Something.   (泣けてきます、ギターも最高!)

     
       Something(映像)

        Here Comes The Sun(映像)

       Here Comes The Sun(ボン・ジョビ)

     

オール・シングス・マスト・パス 〜ニュー・センチュリー・エディション〜 Music オール・シングス・マスト・パス 〜ニュー・センチュリー・エディション〜

アーティスト:ジョージ・ハリスン
販売元:東芝EMI
発売日:2001/01/24
Amazon.co.jpで詳細を確認する

☆ ビートルズ解散後、ジョージが意欲的に制作し発表された名盤。(CDでは2枚組)繊細な彼の比類なき才能を感じることが出来る傑作です!        

 
 ※ なお、頂いたコメント、トラック・バックはスパム対策
   の為(最近多いんです)、確認をさせて頂いてからの
   掲載になります~ご了承下さいませ。

| | コメント (64)

 ポール・モーリア

Dsc0006012
 
先日の日曜日の早朝、テレビをぼんやり見ていたところ思わぬ訃報が流れ驚きました。 イージー・リスニングの代名詞であり大御所ポール・モーリアさんが3日に亡くなられたということでした――81歳。

(以下 - 敬称略)

                           「おひげのダンディ、ポール・モーリア」

 私は幼少の頃から親の影響もありポール・モーリアを聴いています、そういう意味ではビートルズよりも長く聴いているサウンドですね。 今でも就寝前に聴くことの多い彼の音楽は、軽快な中にもフランス風で少しセンチな雰囲気のあるオシャレな作風が特徴です。
ストリングスをバックにチェンバロが奏でられたり、そのアレンジは洗練された素晴らしいものでした。

 ポール・モーリアは1925年3月4日、フランスのマルセイユで生まれます。 幼少から音楽への才覚を現し、10歳から6年間をマルセイユの国立音楽院で学びます。
卒業するとクラブで演奏活動を始め、以降はそうしたクラブのバック・バンドやスタジオ・ミュージシャンとして活動するのでした。

 そして1966年には念願のオーケストラを結成します。
           (ポール・モーリア・グランド・オーケストラ
その2年後、いまやスタンダードとも言える名曲「恋はみずいろ」を編曲し大ヒットさせます――グラミー賞受賞
 その他にも「蒼いノクターン」「涙のトッカータ」、そして「オリーブの首飾り」などのヒット曲を連発し、名実ともに「イージー・リスニングの帝王」とまで呼ばれました。
親日家としても知られ、1969年からは毎年のように来日しては全国ツアーを行い、その爽やかでムードあるサウンドは日本中を魅了しました
しかし、1998年の来日公演を最後に指揮者を引退するのでした。

 1970年代、ポール・モーリアを筆頭にイージー・リスニングはピークを迎えます。 軽音楽という大衆音楽のジャンルを芸術の域にまで引き上げた彼の功績は高く評価されました。 
同じ頃のレーモン・ルフェーブルや、その少し後に登場するリチャード・クレーダーマンなどへと継承されるポップでカジュアルな旋律もまた人々の心を捉えるのでした。
 

 多くのカバー曲や自作曲を洗練されたアレンジで世に送り出したポール・モーリア。
トレード・マークのおヒゲがダンディな、その優雅で優しい指揮の姿とともにどこか懐かしい地中海の香りもするそのエレガンスなサウンドは、これからも人々の心の癒しのバイブルとして聴き続けられることでしょう。
        ―― ご冥福をお祈り致します ――
                         


  ☆  「恋はみずいろ」のライヴ映像は こちら




 今回は哀悼の意を表してフランス国歌で始まるこの曲を!

  ☆  All You Need Is Love.
(1967年、世界初の衛星中継番組で演奏された
   曲としても有名!  日本時間では早朝だったそうです・・)

ポール・モーリア・スーパー・ベスト21 Music ポール・モーリア・スーパー・ベスト21

アーティスト:ポール・モーリア
販売元:ポニーキャニオン
発売日:2005/10/19
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 ☆ まさに「一家に一枚」なポール・モーリアのベストCDです♪


 ※ なお、頂いたコメント、トラック・バックはスパム対策
   の為(最近多いんです)、確認をさせて頂いてからの
   掲載になります~ご了承下さいませ。


 
 

 

| | コメント (49)

 ジョージ・マロリー

Dsc00861112                           

         「イラスト ― 不屈の精神を持つ伝説の登山家マロリー 」

ご存知の方も多いと思いますが、あの  世界最高峰のエベレスト (チョモランマ - 8848m)に初めて登頂に成功した人物はニュージーランド人の登山家、エドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイです。
                 
                 

 しかし、それより29年も前に実は登頂をしていたかも知れない(!)という人物がいたのです。
 

今回は、今なお エベレストの謎のひとつに数えられ、語り継がれるイギリスの伝説の登山家――ジョージ・マロリーをご紹介します。

 1886年生まれのジョージ・マロリーは、34歳の時にイギリス
第一次 エベレスト遠征隊に召集されます。(1921年) 
  (登頂にあたってのルートなどの調査が主な目的)
翌22年には登頂を目的とする第二次遠征隊にも参加します。しかし、この遠征では不運にも雪崩に遭い、7名が亡くなるという事故により断念。

 1924年には第三次遠征隊が組織され、マロリーにとって「三度目の正直」となるはずでした。 
当時すでに名実ともに有名な登山家だった彼は、登頂の際に
意外なパートナーを指名します。 
 若く登山経験の浅いアンドリュー・アービィンを指名するのです。
 当時まだまだ開発途上の酸素ボンベは故障が多く、また重量もあ
るために、ボンベの扱いに慣れていて体力のあるアービィンを指名
したのでした。
 そして6月8日、いよいよ第6ベース・キャンプを後にします―――
     
        運命の登頂へのアタックが始まったです。

 
  当初、軽快に頂上へ向かって登る二人が確認され、徐々に小さく
なっていく彼らの姿からは「初登頂」への期待が高まりました。 
 しかし、第二ステップ(セカンド・ステップ)と呼ばれる難所に挑む 
豆つぶほどの二人を仲間の
オデール目撃したのを最期に、
その姿は雲の中へ忽然と 消えたのでした
・・・・・・・・

Dsc001771251   
                

 「イラスト - 最高峰エべレスト 」

 

  20世紀初頭の未開地探険ラッシュという背景には、イギリスに
とっての国家としての威信も深く関わっていました。 
当時、北極と南極の極点到達とも他国に先を越されていたという
経緯があり、                (アムンゼンの記事参照
 あとは「第三の極点」となっていた最高峰 エベレストを残すのみ
だったのでした。 
そのためイギリスのエベレストへのこだわりと執念は並々ならぬもの
だった
のです。

 そんな時代背景の中で組織された遠征隊でした。 
しかし第二ステップを最期に消息不明となったマロリーとアービィン
――その後の捜索でもついに発見することが出来ませんでした。  
そしてその消息とともに、後に語り継がれる――

  「登頂に成功したかどうか」という謎が残されてしまった
のです。 

 それから29年――1953年5月29日、ヒラリーとテンジンが登頂し
無事に下山したのでした。  
下山したヒラリーは、山頂ではマロリー達が登頂した「形跡」を
見つけられなかった、と伝えました。 
実は、その「形跡」として考えられる「あるもの」に世界は注目していた
のです。             
  生前マロリーは、
 
   登頂に成功した時には頂上に「愛妻ルースの写真」を置いてくる
                   
――と、公言していたのでした。
 
    「君と一緒に頂上の景色を見るよ」

と妻に語っていたとも言われます―――何ともロマンティック!

 余談ですが、マロリーは身体能力に優れたばかりではなく、とても
柔軟で均整がとれ、「ギリシャ神のようだ」と形容されていたほどの
体格
の持ち主だったようです。 
 また、シェイクスピアの「ハムレット」や「リア王」を遠征中も愛読して
いたというインテリ(知性派)でもありました。 
そんな知的でハンサム、そしてロマンティストの彼はさぞやモテたこと
でしょう。 


 ―――マロリーとアービィンが消息を絶ち75年の歳月が過ぎた
1999年5月、世界中を驚かせるニュースが駆け巡ります。
  彼らを捜索するために組織されたアメリカ隊により、
     ついにジョージ・マロリーの遺体が発見されたのです!
                  (標高 8,160メートル付近) 
そしてその写真はさらに衝撃を与えました。
8,000メートルを越える標高ゆえに、うつぶせのその遺体はほぼ
原型をとどめていたのです。
右足に骨折が認められたものの、両手はしっかりと岩肌を
つかんでいました。    (滑落姿勢でもあるという)
その姿からは、今なお登らんとする登頂へのすさまじい執念を感じる
とともに、人間のロマンや苦難への絶えることのない情熱が
伝わるようでした

発見した隊員たちは、その憧れていた伝説の男の聖なる姿に熱い
ものがこみあげ、丁重に石を積み埋葬したといいます。 
   そして、遺留品にも彼の妻の写真はありませんでした・・・・・
(ポケットに入っていたハンカチや手紙、缶詰、マッチ、衣類の一部
などの遺品は持ち帰る) 

 
  現在もなおマロリーとアービィンの登頂の足跡は謎のままです
が、当時彼が携行していたカメラが発見されればいつかはっきり
することでしょう。 

 しかしその結果はどうであれ、高所でのさまざまな装備やデータの
ある今日とは違った当時の状況であり、なんとセーターにジャケット
という今では到底考えられない軽装で  8,200メートルの標高を
登っていたという事実。
 あらためて彼らの強い勇気と信念に敬意を表するとともに、人間の
素晴らしい可能性にただただ感動するばかりです。

 岩肌を両手でしっかりとつかんでいるとはいえ、その静寂の
                     「聖地」を与えられたマロリー ・・・
 
 闘いを終えた彼は、まるで母なる大地に抱かれ
               静かに眠っているようでもあります―――




    新聞記者 「あなたはなぜエべレストに登るのですか?」

    マロリー  「そこに それ (エべレスト) があるからだよ」


                    「1923年のあるインタビューにて」


 

       当時の登山靴はまだまだ充実していませんでした。
      厚手の皮ででき、靴底には鋲を打ち付けた粗末なもの
      だったようです。 マロリーの「登山靴」もやはり例外では
      ありませんでした。 しかし、そんなマロリーの愛した茶色い
      靴もまた、彼と一緒にエヴェレストに眠っているのです。
       今回の選曲は、同じジョージ(ハリスン)作曲による
      スリリングなナンバーです♪


  Old Brown Shoe.
          
(数あるビートルズの曲の中でも難易度の高い曲♪)
                   

 

☆ アルピニスト 野口 健さんのサイト

          野口 健 公式ブログ



    

マロリーは二度死んだ マロリーは二度死んだ

著者:ラインホルト メスナー
販売元:山と溪谷社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 

あきらめないこと、それが冒険だ―エベレストに登るのも冒険、ゴミ拾いも冒険! Book あきらめないこと、それが冒険だ―エベレストに登るのも冒険、ゴミ拾いも冒険!

著者:野口 健
販売元:学習研究社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

| | コメント (48)

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »