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 ジョン・レノ ン

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          「イラスト - ジョン・レノンとオノ・ヨーコ (1980年)」

   今回は私がブログを始めたきっかけ(?)でもあります、
元ビートルズの実質的なリーダージョン・レノンについて話したいと思います。
   (もうすぐ生誕66周年でもある)
有名すぎる(!)彼については皆さんの方がよくご存知だと思いますので、生涯や
エピソード紹介という普段のスタイルではなく、純粋に私が好きなビートルズ・ソングス
(今回はジョン中心で、ソロ作品も含む)を選曲してみたい~と思いました。
今回はこういった主旨ですが、どうぞお付き合い下さいませ~。

とは言っても、簡単にですがジョンの生涯をたどってみましょう。

 1940年10月9日、時は第二次大戦真っ只中――激しいドイツ軍の
空襲の最中、ジョン・ウィンストン・オノ・レノンはイギリスのリヴァプール
に生まれました。 
10代で愛する母ジュリアとの別れやポール・マッカートニーとの運命的
な出会いを経て、1962年10月5日にメジャー・デビューします。

 
1964年2月にはアメリカへ上陸し、ビートルズ旋風と呼ばれる爆発的
な人気で世界的なロック・グループとなります。

  当初、彼らはその個性的なルックスからアイドル視されていましたが、
発表するアルバムのたびに型破りな名曲を連発し、もはや彼らは
アイドルと呼ぶ範疇にはなく、ポップ・ロック史上最高のアーティスト
評され現在に至っています。 
 





1970年に解散してからも幾度となく再結成が噂されましたが、
1980年の記憶に新しいジョンの死により永遠にその可能性は
閉ざされたのです――。
2001年にはリード・ギタリストであったジョージ・ハリスンも亡くなり、
遺族やファンには辛い出来事となりました。 
                  (ジョージ・ハリスンの記事参照

 しかし、彼らの約7年という短い活動期間で残された200曲を超える
作品は、我々リスナーをはじめ世界のさまざまなアーティストに影響を
与えます。 また、ビートルズの存在そのものや各メンバーの個性、
生き方といった音楽以外でも国境や人種を容易に越えるのでした。 
 これは、単にいちアーティストとしてではなく、彼らをとりまくすべての
物事がひとつの大きな現象
として存在し、「ビートルズ台風」という
文字通り塊りとなって生き続けているかのようです――。  
                   (来日記念の記事参照)

 1966年11月にジョンはオノ・ヨーコと出逢います。 
以来、その二人の関係や活動を非難する声もありましたが、
1975年10月9日(ジョンと同じ)に息子ショーンを授かると、
“ハウス・ハズバンド”として音楽業界から遠ざかります。
 しかし、幼いショーンの「パパはビートルズだったの?」という言葉を
きっかけ(と言われている)に、父ジョンは再び音楽活動に入るのでした。

 私はジョンがヨーコさんと会ってからの愛と平和(ラヴ&ピース)
テーマとするさまざまな活動も興味はありますが、やはり音楽家として
のジョン――デビューからサード・アルバム(ア・ハード・ディズ・ナイト)
にかけてのビートルズとしてのジョン・レノンが好きですね~! 
疾走感あふれる彼の艶のある力強いヴォーカルは、今でも新鮮で
聴くたびに鳥肌が立つのです。

 それは驚異のデビュー・アルバム
            「プリーズ・プリーズ・ミー」から感じます――。
1963年2月11日に行われたレコーディングは、この日の10時間に
10曲を収録する
(!)という前代未聞のスケジュールでした。
                  (あ、ありえない・・・大汗) 
そのためライヴの勢いのような、 ほどよく粗削りなノリを感じる仕上がり
 になったのでした。 

 オープニング・ナンバーの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」
ポールのカウントで始まりますが、それは同時に彼らビートルズの
類まれな歴史のはじまりのカウントでもあったのでした。 
このアルバム中 特筆したいのは、「アンナ」「アスク・ミー・ホワイ」
そして「ベイビー・イッツ・ユー」で聴かれる若きジョン・レノンの“成熟した”
ヴォーカルです。 当時若干22歳の青年とは思えない~
            なんと艶のある素晴らしい歌声なのでしょう!
 
 彼はデビュー当時すでに完成されたトップ・ヴォーカリストだったのです。
同年のリンゴ・スター以外のポールやジョージはまだあどけなさが残る
印象ですが、当時のジョンに限っては突出して “大人”だったのでした。 
そして圧巻は、ラストの「ツイスト・アンド・シャウト」でしょう~。

 それから8ヵ月後、セカンド・アルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」
リリースされます。 これもまた初期ビートルズを代表するサウンドですが、
一歩前進して洗練された印象ですね。
今回はジョン中心の記事ですのでピック・アップすると、オープニングの
「イット・ウォント・ビー・ロング」「オール・アィヴ・ガット・トゥ・ドゥ」
「ユー・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー」「ノット・ア・セカンド・タイム」
にラストの「マネー」でしょうか。 いやぁ~すさまじい怒涛のレノン・ヴォイス
の雨あられ(笑)です~。 
ある本には「初期ビートルズ・サウンドはジョン・レノンのヴォーカルで
彩られている」なんて表現もありましたが、同感です~
           ジョンのニオイぷんぷんって感じです、ハイ。

 さらに8ヶ月後、ジョンのベスト盤(個人的にです)とも呼べるアルバム、
「ア・ハード・ディズ・ナイト」が発表されます。 私も最初のころは、
ジャケットの雰囲気やサントラというイメージが先行して「よくあるサントラ」
を勝手に想像していました~が、しかし、しかしです
それぞれの曲がまたスゴイこと~っ!(興奮してスミマセン・・笑)

 同名映画タイトル・ナンバー「ア・ハード・ディズ・ナイト」に始まり
「アイル・ビー・バック」に至る13曲は、まるで一陣の風のごとく
駆け抜けます~疾走感を一番感じる名盤ですね。
13曲中10曲がジョンの作品で、当時あれほど多忙なスケジュールの中で
一体いつ作ったの?(笑)と単純に驚いてしまいます。
 モーツァルトなどの大作曲家にも通ずる、やはりジョンもポールも
メロディや詩が湯水のごとく湧き出る天才なのでしょう。

 このアルバムはどの曲もレベルや評価が高いと言われています
     が、(どのアルバムもですが・・・)
「ア・ハード・ディズ~」「イフ・アイ・フィル」(恋におちたら)
「エニィ・タイム・アット・オール」「アイル・クライ・インステッド」
「ユー・キャント・ドゥー・ザット」は特に素晴らしく(ジョンの曲でですよ~)、
ドライヴやカラオケ(笑)ではよく聴き歌うナンバーですね!

 ~と、ほとんど私の勝手な曲紹介(?)となりました~もちろん、以降の
「ビートルズ・フォー・セール」「ヘルプ!」「ラバー・ソウル」
「リヴォルバー」「アビィ・ロード」まで、まばたき出来ないほどの加速で、
ビートルズは「進化」し名曲をこれでもか~と増産していきます。  
タイムマシンがあれば、私もリアル・タイムで彼らの新作を聴いて
 みたかったですね~。 
ビートルズは音楽以外でも魅力的です。 インタビューなどでのユーモア
あふれるコメント
は、当時のアイドルという概念からはとても考えられない
知的でシニカルな発言をしました。 
             (特にジョンとジョージ)
Nec_0083_2 また、ビートルズのギター・プレイもそれぞれ個性的
で、ジョンのリズム・ギター(サイド・ギター)も数々の
名演を披露しました。 彼のプレイはヴォーカルや
楽曲を引き立たせる「生きたプレイ」が持ち味で、
フィーリング豊かな唄うギターですね~。 
ヴォーカル同様、とても譜面には表せない“ノリ”に
包み込まれています。 

 解散後のソロ作品では、有名な「イマジン」
もちろん、「ラヴ」「ウーマン」「ジェラス・ガイ」
「マインド・ゲームス」そしてクリスマス時期にには欠かせない
「ハッピー・クリスマス」が好きですね~。 
皆さんご存知のように、ビートルズ後期から晩年はシャウトというより
「じっくりとささやく」ヴォーカルがメインになりました。

       ――再び音楽活動を始めた1980年――
11月にリリースされた「ダブル・ファンタジー」は世界の注目を浴び、
ジョンは見事に“復活”したのです。
しかし、その矢先の翌12月8日、ジョンは狂信的なビートルズ・ファン(?)
と言われるマーク・チャップマンによる5発もの凶弾に倒れるのです
     ――自宅であるダコタ・ハウスの玄関付近で・・・・・。

 その衝撃的な事件・・悲報はまたたくまに世界を駆けめぐりました 
その凶行は、チャップマンの単独犯説や、大統領に匹敵するほどの
影響力を持つとも言われたジョンを恐れる勢力による犯行とも
ささやかれました。 
しかし、ただひとつ言えるのはジョン・レノンが亡くなってしまったという
取り返しのつかない事実でした。 
  元ビートルズのスーパー・スターであり、ヨーコの夫、そして
ショーン(ジュリアンと)の父親がその夜、理不尽な行為により
 その生命を突然奪われてしまった
のです。 

  自由の国アメリカ、ニューヨークを愛したジョン・レノン――
皮肉にもその自由という象徴でもある「銃」により命を奪われた
彼に対し、当時アメリカ国民の大半が 「ジョン、ニューヨークそして
アメリカを嫌いにならないで・・・」という祈りにも似た感想が載った記事を
雑誌で見た記憶がありました。 
 1981年の春からは、日本を皮切りにツアー計画の予定もあった
   というジョン――
 彼は永遠に40歳のまま・・・伝説となってしまいました―――

 
  ジョンを敬愛する日本のトップ・アーティスト達が集い、彼のナンバー
を歌い上げる「ジョン・レノン・スーパー・ライヴ」が今年で6回目を数えます。
 2001年から昨年までの5回の収益で アジア、アフリカの17カ国に54校
の学校の建設が実現しました。 ヨーコの協力のもと、
     ジョンの愛と平和の精神は確実に引き継がれています。
            ――彼の数々の名曲とともに。

     Happy Xmas (War Is Over) (映像)

     ♪ Imagine.

 

        
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「ひとりで見る夢はただの夢・・・
              みなで見る夢は現実になる」


                     ~ オノ・ヨーコ ~

    「ジョン・レノン・スーパー・ライヴ 2006」

 ☆ 長文記事にお付き合いありがとうございました!
今回の選曲はみなさんにお任せしたいと思います~
よろしければ選曲した曲名の理由やエピソードも
コメント欄へ頂けたら幸いです~♪
  (もちろん、コメントのみでもかまいませんよ~!)

 ※ なお、頂いたコメントはスパム対策
   の為(最近多いんです)、確認をさせて頂いてからの
   掲載になります~ご了承下さいませ。


 

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