野口 英世
今年生誕130年を迎える日本を代表する医学者がいます――野口英世(敬称略)
です。 彼は日本人なら誰でも知っている偉人ですが、数々の研究成果を挙げた
世界的な権威ある医学者というだけではなく、個性的な側面を持った人間らしい人物
でもあったのです。
「イラスト - エクアドルで病原体を特定した頃の 野口 英世 」
(1918年頃)
1876年(明治9年)11月9日、野口英世(幼名:清作)は福島県翁島村
(現:猪苗代町)の貧しい農家の長男として生まれました。
1歳半の春、まだ幼い英世は囲炉裏に落ちてしまい、左手に大火傷を負うという
人生を左右する事故に遭います。 当時、農家の作業は今よりもさらに手作業
中心の体力仕事でした。 それゆえ、長男の身体にハンデとなる火傷を不注意
とはいえもたらしてしまった母(シカ)は、大変悔やんだといいます。
そんな母の気持ちを幼な心にも感じたのか、英世はその後幼少期に度々起こる
いじめにも耐えながら、学問に専念しようと誓うのでした。
そうした英世の努力もあってか成績は優秀で、生長という生徒会長的な役割
を担い、先生の代わりに授業を教えることもあったようです。
そして、当時の恩師である小林栄の援助もあり、経済的に苦しい英世もなんとか
猪苗代高等小学校へ入学出来たのでした。
在学中、会津若松の会陽医院(現:野口英世 青春館)で左手の手術を受けます。
そしてその出来事が英世を医学に目覚めさせ、医学者としての道を志す
きっかけとなるのです。
その後、会陽医院で縁を得た高山歯科医学院(現:東京歯科大学)の
血脇守之助先生のもとで医学を学びます。
猛勉強の末、20歳で医師免許取得~1898年、北里伝染病研究所で勤務を
始めるのです。 (この頃、英世に改名する)
ある日、来日していたサイモン・フレキスナー(アメリカの細菌学者)が研究所へ
訪れます。
案内役であった英世は親交を深め、1900年にはそのフレキスナーを頼りに
大志を抱いた青年は渡米するのです――、この時 英世 - 24歳。
(渡米費用は小林、血脇先生などの援助による)
英世はペンシルバニア大学医学部で助手として蛇毒の研究を始めます。
(1900~3年)
1903年からは1年ほどデンマークへ留学(マッセン博士に師事)~帰米して
からは、ロックフェラー医学研究所(現:ロックフェラー大学)にて一等助手として
梅毒の研究をすすめ~1911年2月、ついに梅毒スピロヘータの純粋培養に
成功します。 (4月にはメリー・ダージスと結婚)
寝食を忘れるほど研究に没頭し、この数年間で蛇毒や梅毒、、小児麻痺など
について次々と論文を発表します。
その研究ぶりは、周りの研究員達からは「野口はいつ寝ているのか?」
とささやかれたほどでした。
1915年(大正4年)9月、久々に日本に帰国する英世~既に彼の名声は
広まっており、各地で歓迎会をうけます。
しかし、結果的にこの時の帰国が最後となってしまうのですが――。
1918年6月、ロックフェラー財団の要請を受け、当時黄熱病が大流行して
いたエクアドルへ一路向かいます。
彼にとって運命の黄熱病と対峙する時が来たのでした。 現地へ到着して
まもなく(9日後と言われる)病原体と思われる細菌を特定、野口ワクチンを
精製します。 (11月、最愛の母シカ死去)
そして南米を襲う黄熱病から人々を救うため、英世はメキシコ、ペルー、
ブラジルと廻ります。その後、英世のワクチンの効果で黄熱病の猛威を
喰い止めることが出来るのでした。
1927年、思わぬ事態が起こります。
イギリスの医学者ストークスが、アフリカの黄熱病には野口ワクチンが効果が
ないと発表するのです。
1928年(昭和3年)、早速英世はガーナのアクラ(現:ガーナの首都)に
研究施設を造り病原体の特定に挑みます。
しかし、運命とは時に残酷でした。
皮肉にも、英世自身が黄熱病に感染し倒れてしまうのです。
殉職とも思える彼の最期は、後世に渡り人々の心を打ち続けるのでした。
――享年51歳。
こうした現地での研究は今では考えられないことであり、理論より実践という
彼らしい使命感ある行動でした。
今日では、黄熱病はウィルスと判明していますが、当時の顕微鏡では見ること
の出来ない範囲であり、彼の死を境に細菌学からウィルス学へ移行していった
時代の流れを考えると、彼がもしも電子顕微鏡を手にしていたら・・・
と切なくなりますね。
幾度となくノーベル医学賞候補にもあがり評価も得ていましたが、大戦の影響
もあり受賞することはありませんでした。
しかし、そういった受賞の有無ではなく、純粋に医学者として最前線で未知の
病原体に挑んだ彼の姿勢をもっと評価・認識してほしいと思うのです。
――アメリカ、ニューヨーク郊外にある野口英世の墓碑には、
こう刻まれています~
「 博士は科学への献身により、
人類のために生き、人類のために死せり 」
~ あとがき ~
野口博士は金銭感覚がルーズであったと言われます。
借金を巧妙に重ね、なかなか返さない~(笑)、しかし結果的に、そんな
マイナス面を覆すほどの研究成果をもたらしました。
母シカの愛情を始め、彼の将来性を信じ、渡米費用などを援助・工面して
くれた方々の温かさ、おおらかさという気持ちも忘れてはならないところですね。
2004年11月、そんな野口博士が新千円札の肖像に選ばれ、さぞや
ご本人も驚いて(?)いるのでしょうか~漫画家の加藤芳郎さんに似ている
というのも有名でしたね。
☆ 関連する専門サイト 野口 英世 記念館
野口 英世 青春館
今夜のリクエストは、博士の母シカさんの想い、そして先日亡くなった
キーボーディスト、ビリー・プレストンへの哀悼の意を込めて選曲します。
☆ Get Back.
(解散が噂された当時は、ポールがメンバーを引き止めるようなニュアンス
にもとれた切ない記憶もありますが、~リンゴの素晴らしいプレイを筆頭に
完成度の高い演奏で魅了してくれますね~!)
|
野口英世―見えない人類の敵にいどむ 著者:滑川 道夫 |
読みやすい人物伝です。
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コメント
ご訪問&コメントありがとうございました。
野口英世は「先生から借りたお金を一晩で飲み代に使った」
などの逸話も残っていますが、
それもまた、思ったことを必ず実行してしまう性格の
表れだったのかもしれませんね。
投稿 こやなぎ名人 | 2006年6月28日 (水) 13時36分
コメントありがとうございました。
ルーシーさんのブログ、すごいですね!
寝る前に思いついたまま書いている私のブログとの差は歴然。
私ももう少しちゃんと書かなくちゃ・・・。
野口英世さんがただの優秀な人ではないことを知って、嬉しかったのは私だけではないはず。
それを知った上で、改めて子供向けの伝記を読み返してみようと思っています。
投稿 社労士さくら | 2006年6月28日 (水) 19時17分
こやなぎ名人さん、コメントありがとうございました。
>先生から借りたお金を一晩で飲み代に使った~ は、事実らしいですね、意外に豪快な方(笑)だったようです。 アインシュタインや石川啄木もしかり、どこか破天荒で人間らしい部分が見えると、身近に感じますが~当時の周りの方々は大変だったでしょうね、ハハハ。
こやなぎ名人さんのサイトは基本を「地域活性化」に置いていらして素敵だと思います。 また伺わせて頂きますね!
投稿 ルーシー | 2006年6月28日 (水) 20時24分
社労士さくらさん、コメントありがとうございます。
凄い(?)だなんて仰って頂いて嬉しいですね~ありがとうございます。 当初はさくらさんと同じく日々のブログ形式でしたが、風邪をこじらせてダウン(笑)してからは何故か「人物伝」っぽくなっています~ハハハ。 でも、さくらさんの記事はほのぼのと、かつ鋭い視点で述べられていて興味が湧きますね~、これからもどうぞ宜しくお願い致します~!
投稿 ルーシー | 2006年6月28日 (水) 20時31分
ルーシーさん、こんばんわ~。
今回は、野口先生という事で、素通りできず、思わずコメントを書かせていただきました~。
・・・と、いうのも私は以前、こういう細菌系の仕事についておりまして・・やはり、野口先生と北里先生は尊敬する偉人ですね。
シカさんとの親子関係もイイですね。
エラくなった息子に負けたくない!と字を習うシカさん、ホントは遠く離れた息子に手紙を書きたかったんですよね。
ご本人の努力もさることながら、シカさんという母親ががあって、野口先生という偉人が生まれたって感じですかね。
投稿 indoor-mama | 2006年6月29日 (木) 03時25分
indoor-mamaさん、コメントありがとうございます。
え~、ただ今昼休憩です。 細菌系の仕事についていらしたのですか~凄いですね! 私は生物・化学は苦手な科目でした~(笑)。 そうですね、野口英世に限らず北里柴三郎もまた日本を代表する医学者ですね~(北里さんの方がかなり先輩、というより恩師ですが)。 北里先生の紹介状があって渡米が実現~という裏話もあり、野口英世の才能・情熱を認め、サポートされていたようですし。
北里先生の破傷風の研究成果や血清療法などはそれこそノーベル賞に値しそうでしたが、受賞には至りませんでしたね・・・・・残念です。 しかし、その予防医学などの功績は後世の我々にしっかりと受け継がれています~。
野口博士の母あっての偉業~まさしく仰るとおりです。 ではまたお邪魔致します~!
投稿 ルーシー | 2006年6月29日 (木) 12時29分
こんにちは、はじめまして。
いつも感心してこちらのブログ拝見していました。
野口英世さんは子供のころから好きな歴史の方です。父親に本を薦められて夢中になって読んでいました。
お母様のシカさんはとても頑張りやで、英世少年を一生懸命になって育てていたのだと感動しました。その努力が実り、世界的な学者になりましたけれど、親子が離れ離れになってしまって悲しいですね。 また寄らせていただきます。
投稿 真音 | 2006年6月29日 (木) 16時50分
真音さん、コメントありがとうございます。
偉人の本を薦めてくれるなんて、いいお父さんですね~、私は外で泥だらけ(?)になって暗くなるまで遊んでいるような活字嫌いの子供でした(笑)。
社会人になって歴史に興味を持ち始めたので、その分焦りながら一時期読書に没頭しました~小さい頃から関心が持てたら楽だったのに~(笑)と思いましたね。
シカさんの手紙で、「きてくたされ」という言葉にさまざまな気持ちがこめられていると想うと、切なくもなりますね~、ではまたぜひお越し下さいね!
投稿 ルーシー | 2006年6月29日 (木) 20時51分
ルーシーさん!!あざみブログにコメントありがとうございました。野口先生の事、よく勉強されていますね。私なんか野口先生の生家まで車で30分(猪苗代町)、当時下宿していた病院まで20分(会津若松市、現在は喫茶店)の距離にあって全く勉強不足でお恥ずかしいです。今は遠く離れている娘にメール1送信ですみますが昔々の1通の手紙には母の思いが感じられますね。私もたまには手紙を書いてみたくなりましたぁ。それではまた
投稿 あざみまま | 2006年6月30日 (金) 21時54分
あざみままさん、コメントありがとうございます。
野口博士の地元だなんて素敵ですね~、それに生家がきちんと保存されているなんて感動です! 会陽医院は一階が喫茶店だそうで、全国から野口先生のファンが想いを馳せながらコーヒーorティー・タイムされてるんでしょうね~羨ましい。
あざみままさんのブログは、日々の周りの出来事などをまとめられていて、地元ならではの旬(?)な話題で面白いですね。 三宅久之さんがいらしたようで、次期総理についてのお話はされたのでしょうか?興味ありますね(笑)。
人物伝?っぽいブログですが、これからもどうぞよろしくお願い致します~ではまた伺いますね!
投稿 ルーシー | 2006年6月30日 (金) 23時14分
野口英世が金銭感覚にルーズでたいへんな金銭豪傑であったことは有名ですよね^^
モーツァルトと共通していることでしょうか。。
親近感があるのがかえっていいですね。
両人とも「聖人」化もされていますが、天才というものは「実」があってこそ後世で評価される。
その代表でしょうね~
野口英世が紙幣に。。。たぶん当人は大笑いするでしょうね^^日本中の紙幣ジャックできたんですから~
投稿 なすか | 2006年7月 1日 (土) 01時22分
なすかさん、コメントありがとうございます。
なすかさんは野口博士についても詳しいなんて流石ですね~! プラネタリウム運営や付随したお忙しい活動の中、私などのブログにコメントいただいてありがとうございます。
そうですね、完全な人間など存在しませんし、偉人達のオチャメ(?)な側面を知ると親近感が湧いてきます。 あらためて、人間はひとりひとり可能性を秘めた原石なのだと感じますね~。
すみません、なかなか「スイング・バイ」設置店へ足を運ぶ時間がなく、まだ拝見しておりませんが、万が一のためしばらく発刊した冊子をストック(?)していただけてたら嬉しいです~なんて我がままですよね(笑)、ではまた伺います!
投稿 ルーシー | 2006年7月 1日 (土) 12時55分
コメントありがとう&遅くなってすんません。
野口英世についてお詳しくかかれていますね。
いろんな人物をピックアップして紹介なされているのですね、大変興味深く何件か拝見させてもらいました。野口自身が金銭感覚にルーズだったなんて、興味深いですね。まぁ、研究者たるものは金銭に執着していればできない部分がありますからね。
投稿 カズ麻呂 | 2006年7月 2日 (日) 22時51分
カズ麻呂さん、コメントありがとうございます。
そうですね、意外にお金や異性にルーズな偉人は多いようですよ~まぁ、人間的と言えばそうなのですが、周りは迷惑したりしますね(笑)。
カズ麻呂さんの記事もいくつか拝見しました~時事問題を中心に社会や歴史についてなど幅広いですね~! 内容もなかなか勉強されてると思いますよ~。
私もそういった総合的な議論(?)のサークルにも所属していますが、同じような議題について討論する場も多いんです~結局、他の参加メンバーからもいろいろな意見が出たりで、結論がまとまらないことが多いのですが・・・(汗)
ではまたお邪魔致しますね~!
投稿 ルーシー | 2006年7月 2日 (日) 23時29分
こんにちは~。
すいません、ご無沙汰してしまいました。
だいぶ前になりますが、野口英世の記念館に行ったことがあります。生家もありましたが、生家自体が屋根で覆われているんですね。たしか小学生くらいの頃だったので、妙な感覚だったのを覚えています。
野口英世も名前と黄熱病の研究のことくらいしか知りませんでしたが、1回ワクチン開発に成功したのに、「効かないぞ」と言われてもう1回研究している間に感染してしまったんですね…。
ホント、もう少し進んだ研究器材があったなら…と思います。歴史上の人物には「あの人がこれを使っていたら…」という人がたまにいますよね。野口英世みたいななおさら悔やまれますね…。
投稿 ぴの | 2006年7月 6日 (木) 13時51分
ぴのさん、コメントありがとうございます。
野口英世記念館に行ったんですね~羨ましい、私はいまだに・・・(汗)、ぜひ行きたいと思っています。
そうですね~歴史に「もしも」はありませんが、野口博士にはもう少し衛生的な環境と研究器材があったら・・・と思います。 そういった方々の苦労や情熱、そして尊い犠牲があって今の世の中に反映されていることが多いのでしょうね。
そんな偉人達のいきざまを、これからも私の拙いブログでですが紹介できたら~と思います、よろしくお願いします~ではまた伺いますね!
投稿 ルーシー | 2006年7月 6日 (木) 15時16分
野口英世が洗礼をうけた教会としっているなんて・・・かなりお詳しいですね。これからも会津の様々な魅力を「http://www.aizulife.com」で発信していきます。コメントありがとうございました。ぜひ会津にいらしたときにはこのサイトをみて、会津の裏側もみてきてください。
投稿 山人 | 2006年8月 9日 (水) 21時22分
山人さん、コメントありがとうございます。
いつぞやはお邪魔させて頂きました~返信いただけて嬉しいです。
そうでしたね、野口博士が19歳のときに洗礼を受けた「若松栄町教会」の写真でした~!
ホームページも拝見致しました。 会津へ旅行の際は是非参考にさせて頂きます。 ありがとうございました。 こちらへもまた遊びにいらして下さいね、ではまた!
投稿 ルーシー | 2006年8月 9日 (水) 21時50分
野口博士についてはまったくのド素人ですが、拝見させていただきました。自分の健康をかえりみず、世界中の人たちの健康を守ろうとしてくれた野口博士を、同じ日本人として誇りに思います。なんだかただの感想になってしまいましたが・・・・それではこれで失礼いたします。
投稿 ヒカル | 2006年9月21日 (木) 22時02分
ヒカルさん、コメントありがとうございます。
>自分の健康をかえりみず、世界中の人たち
>の健康を守ろうとしてくれた野口博士~
そうですね、当時はまだ衛生面での認識がまだ薄かったとは思いますが、それにしても最前線の現地での研究・・・医学者として人としての使命感が博士を向かわせたのでしょう。
そういう部分でも世界中の人々の胸に感動を与えたのでしょうね。 まさに日本人として誇りに思う医学者でした。
拙いブログですが、これからも時折いらして下さいね!
投稿 ルーシー | 2006年9月22日 (金) 04時47分